2008年11月15日土曜日

猫のグルッセ(1)

家族の一員、猫のグルッセを紹介します。1995年生まれ。雑種。オス。
家には既に黒い雌猫、カッチンゲンがいました。当時は私もスヴェンも働いていたので、カッチンゲンは一日中ひとり(一匹?)で留守番。さびしいだろう、仲間を作ってあげようと思って、もらってきたのがグルッセです。
猫を飼うのなら、捨て猫を世話してる猫おばさんのところからにしたら、と前から薦められていたのですが、行ってびっくり。120匹以上の猫を飼っているおばさんでした。大きな庭のある一軒家ですが、見渡す限りどこを見てもネコ、ネコ、ネコ。その上に猫のホテルもやっていて、短期間預かってくれるのです。どの猫も優しい、ゆったりとした顔をしていたので、安心しました。
グルッセはその時2ヶ月ぐらいで、「今あげるのだったら、この仔しかいない」と言われて、本当は黒い猫はもういるのだから、他の色がいいなあ、と一瞬思ったのですが、なんか、色で差別するのはいけないみたいに思って…
グルッセは迷子になったのか、捨てられたのか、ある日近くにある大きな砂利山の上で泣いていたのをポリスが見つけて連れてきたのだそうです(この辺の捨て猫は皆このおばさんのところに連れてこられるのだそうです)。左前足のひじにひどい裂き傷があって皮がかぎ方にめくれていました。熱があるらしく頼りなーい感じで、スヴェンのひざの上で丸くなって寝てしまいました。
名前は砂山(grustak=グルースターク) で見つかったのでグルーシス。スヴェンがもうちょっと可愛らしい軽い名前がいいなあ、といって、グルッセに改名しました。
スウェーデンの習慣で1クローナ払い、必ず虚勢手術をすることを約束。家に連れて帰りました。ガレージから家の入り口まで首に紐をつけて、スヴェンに連れられて行くのを、後ろからついていったのですが、ケチョケチョに痩せていて、まるでモールで作った猫みたい。風が吹いたら飛んでしまいそうな姿でした。
さて、家に入ってカッチンゲンにお目見えしたところ、カッチンゲンの怒ったのなんの。絶対に許さないのです。どうしようと、猫おばさんに電話しました。一匹は部屋に入れておいて、もう一匹を可愛がる。後で逆にする。ごはんは一緒に食べるさせるように。など教えてもらいました。
スヴェンは次の日から友だちを訪ねてブラジルに行ってしまい、私は一人でてんてこ舞いしたのを覚えています。
ひじの傷は近くの犬猫病院で縫い直してもらい、ペニシリンを打ったらすぐ元気になりました。
一度、グルッセを部屋に閉じ込めて半日ぐらい忘れてしまいました。あわてて部屋を開けると、グルッセが困った顔で見上げているのです。見ると、ウンチがしたかったのでしょう。トイレが見つからないものだから、紙くずかごをひっくり返して、中身をかき出し、その上にしてありました。「ごめん、ごめん。でもお前は本当にいい猫だねえ」と抱き上げました。
つづく。

2008年11月14日金曜日

ちょっと進歩

今日からギブスの足を使ってもいいことになっています。
足が大分痩せた(これはうれしい!)ので、ちょっとこわごわ歩いてみました。
やっぱり杖がないと未だ不安定です。でも、両足で立てるのは楽ですねえ。

2008年11月12日水曜日

東京裁判

11月11日は第一次世界大戦が終わって90年目だそうです。そして60年前のちょうどこの季節に東京裁判で戦犯の判決が下ったそうです。間30年。第二次世界大戦が始まってからも二十数年なのですから、人間は歴史から何も学ばない動物なのかな、と思ってしまいます。 東京裁判
文藝春秋10月号はこれを記念して(?)「新・東京裁判 -60年目の総決算、国家を破滅に導いたのは誰だ - 決断しないリーダー、暴走する組織」という座談会を載せていました。


東京裁判に当たっては、戦争前後も入れた莫大な資料が集められたそうで、それだけでも歴史的価値があるようです。そして、これ等の資料は2006年以来、少しずつ公開されているそうです。


私は昭和史にあまり興味がなかった(学校では全く教わらなかった)のですが、9月11日NYのテロ以来、ちゃんと知らなければだめだ、と思い始めました。


というのは、当時の最大野党、穏健党の党首(今の外相)カール・ビルトがあのテロを真珠湾攻撃と比較したからです(この人は時々おかしなことを言う。最近もグルジアを攻撃したロシアをナチスと比較して、えっと思わされた)。真珠湾には本当に頭にきた。抗議の手紙を書こうかと、本気になって思ったほどです。でも、冷静になってみると、実は私は何も知らないのです。したがって抗議もできなかった、悔しい思い出があります。


それでこの座談会は大変面白かったです。戦争は果たして避けられたのか。勃発する前にどんなチャンスがあったか。陸軍は、海軍は、政府は、メディアは、国民は、天皇自身はなにをしたのか。世界情勢はどうなっていたのか、など。私にとっては、恥ずかしながら、なるほどと思うことがいっぱいでした。


読後感としては、私は戦争は避けられなかったんじゃないかと思いました。当時(今も?)日本は外交があまりにも下手だからです。新しくできたばかりの国家、国際関係での駆け引きの経験にかけている、欧米的論争に慣れていない(何しろ相手は海千山千のチャーチル、ルーズベルト、スターリンなんですから)、国際情勢をあまりにも甘くみている、など、何を取っても経験がなくて、突っ走ってしまう。これでは、無理だったんじゃないかと思いました。


でも、残念ながら、これは今の日本にも当てはまりますね。国内でギャーギャー反対するばかりではどうにもならない事が多いんじゃないでしょうか。例えば憲法9条の問題を知っている外国人がどのくらいいるでしょうか。言うべき時ははっきりと言う。それも外国人に分かる言葉で、冷静に。うーん。やはり今の日本人にも難しいですね。

カウンター

今日からこのブログにもカウンターが付きました。
今13人です。

2008年11月9日日曜日

ヤン・ヨハンソン

2時ごろから急にお天気が悪くなったと思っていたら、時々ワーッと雨が降ったり、風が吹いたりです。黒い雲が張り出してきたと思ったら、2時半なのに薄暗くなりました。いよいよ憂鬱な季節の始まりです。

今日は街でヤン・ヨハンソンの展示会があって、スヴェンは招かれていました。私は一緒に行かれないので、若い学生を連れて行ったらしいです。
ヤン・ヨハンソンは素晴らしいジャズ・ピアニストでした。40年前の今日、37歳でなくなりました。凍った道でスリップ、トラックと正面衝突したのです。未だに惜しまれているミュージシャンです。私も70年代に初めて彼のピアノを聞いて魅せられてしまったファンの一人です。鋭く、同時に柔らかくピアノの上を走る指は黒豹のようだと思いました。スヴェンによると、穏やかでシャイなところのある人だったそうです

ましてや当時、私も付き合い始めたばかりのスヴェンが数年前に最後のレコーディングを一緒にしていて、この時の録音を使ってのオマージ(ピアニストを偲ぶ)レコードではスヴェンもいろんな古楽器で参加していたのですから、思い入れはつのります。

これはそのヨハンソン最後のレコードです。昔から伝わっているスウェーデンのメロディーを軽いジャズ風にしたてたもので、そのアレンジの仕方はヤン・ヨハンソンの面目躍如としています。

スヴェンは当時、ストックホルムの音楽博物館に勤務していました。そこに時々現れて、いろんな楽器に興味を持っていて、質問されたりして知り合ったそうです。そして博物館が持っていた数々の楽器(コルネット、サーペント、クルムホルン、ドゥルチアンなど)でふざけて合奏し合ったのが、しばらくして彼に呼ばれて録音に参加するようになった経緯でだそうです。スヴェンは今まで数え切れないくらいいろいろな録音に参加してきましたが、この時の自由さ、楽しさは忘れられないそうです。

もし彼が今日まで生きていたら77歳。多分スウェーデンの音楽界に重要な影響を与えていただろうと思います。本当に惜しい人です。

2008年11月8日土曜日

ベジタリアンのブログ


退屈に任せてインターネットの中を散歩しました。
ベジタリアンのブログで「野菜のご飯」というのを見つけました。
今日の分が「鮭よりおいしい人参グリル」というので、人参まるごとに味噌を塗ってオリーブオイルをたらし、オーブンで焼くというのでした。作ってみたら、結構いけました。見た目はこのHPのようにきれいになりませんでしたが。
材料の思いもかけぬ組み合わせ方が面白いです。
レタスとのりをお醤油とごま油であえた「びりびりレタス」とか残った味噌汁をお麩に沁みこませて、小麦粉を混ぜて焼いた「味噌パン」とか、名前も傑作です。スウェーデンでも作れそうなものが沢山ありました。推薦します!

2008年11月4日火曜日

退屈!

足以外はいたって健康なので、お腹もすくし、どっか出かけたくもなりますが、不便です。
退屈だから、今日は久しぶりに肉じゃがに挑戦しようと思いました。補助器がないと一歩も動けないので、思わぬところで手がかかる。
先ず材料を全部(と思ったのだが)キッチンの机の上に乗せ、ジャガイモ、人参(家はニンジンを入れるのです)の皮をむいて、たまねぎを切って。野菜の皮を捨てるのに、あ、3歩歩かなきゃ。肉を冷蔵庫から出して、あ、また3歩。全部いためる。鉄鍋を出さなきゃ。重いなあ。これどうやってレンジのところまで持ってくの。いためるのに菜ばしがいる。また一歩。
でも作りましたよ。おいしかったけど、ああ、しんど。

2008年11月1日土曜日

シルヴィア女王

ラジオの第一放送では毎週土曜日、午後1時~1時半まで30分に渡って時の人をインタヴューします。今日のゲストはシルヴィア女王でした。女王は子どもの権利侵害問題、特にポルノ、ペドフィール、トラフィキング、難民の子どもの権利などに興味を持っています。時にはかなり突っ込んでの質問に、これもかなりはっきりと答えています。
日本では絶対に考えられない。以下、内容を要約します。(I=インタヴュアー、S=シルヴィア)


I:今日のインタヴュ-のテーマは「世界のそしてスウェーデンの危険にさらされた子ども達」ということなのですが、いつごろからこの仕事をこれ程熱心にされているのですか。

S:1976年の結婚祝いの基金ができてからです。始めは障害児のためのものでした。障害を受けた子ども達が同じような立場の子どもに会うことによって、友達が出来る、将来の希望が持てればという趣旨でした。スポーツを通して、他の仲間がどのように難しい立場を克服してきたかをみて、元気付けられたらということでした。パラリンピックも大切です。基金は今、多くの研究者を助けるようになっています。また本の出版もしました。
このような子ども達は障害児になったことで、友達も失ったりしています。でも、スポーツを通して、仲間が出来、再びアクティブな生活が出来るようになるのは大切なことです。

I:危険な状態にある子ども達のためにスウェーデンがするべきこでは何が一番大切だと思われますか。

S:何が一番大切というのは難しいですが、今日インターネットが果たしている役割はとても大切だと思います。15年ぐらい前、私はインターネットは暗黒の穴だと言いましたけれど、これ程の発展をするとは思わなかったし、いろいろな助けになっています。でもまたインターネットが邪悪な機関でもあることはたしかです。

I:どういう意味ですか。

S:速さと扱いの簡単さです。昔はビデオを撮っても自分で簡単には扱えなかったけれど、今はインターネットに載せて、あっという間に世界中に送ることも出来ます。それによって子どものポルノも簡単に公開できます。

I:今、そのような写真を見ることを禁止する法律の是非が取り沙汰されていますが、どのようにお考えですか。

S:スウェーデンではまだですが、ノルウェーとデンマークでは既に法律になっています。私はスウェーデンも見習うべきだと思います。

I:個人の権利侵害という考えがありますが。

S:子どもの権利のほうが尊敬されるべきです。

I:見るだけで子どもの権利が侵害されるのですか。

S:あなたはそのようなフィルムを見たことがあるのですか。撮影するのに子どもがどんな危険にさらされるのかを。政治家はノルウェーやデンマークを見習うべきだと思います。
 
I:もうすぐ第3回ECPAT(性的侵害に対する子どもの権利を守る会)会議がリオデジャネイロで開かれます。女王陛下はストックホルムで行われた第一回会議に積極的に参加されましたね。それ以来どのような進展があったとお考えですか。

S:96年は当時の首相、イングマー・カールソンのイニシアティブで開かれました。122カ国が参加し、この種の初めての会議でした。この問題について初めてオープンに議論がなされました。この時日本から二人の女性国会議員が参加され、世界最大のポルノグラフィー産業が日本にあることを知り、非常に驚いていました。日本に帰ってからこの二人によって国会で討論され、法律が作られました。日本国家の勇気のある行動だと思います。第二回目の会議は横浜で開かれました。その後あちこちの国で、同じような法律が出来たことは、非常な進展だと思います。

I:上手くいっていないことは何ですか。

S:インターネットをもっと統制できないことです。もちろん多くのことが起こっているのですが。例えば、イェテボリの工業大学、シャルマースの学生が作ったプログラムでネット・クリングというのがあります。これをインストールすると、ポルノのサイトを開けると同時に警察と仕事場のチーフに通知が行くようになっています。
スウェーデンでは毎日5万人もの人ががポルノを見ているのです。それも社会のあらゆる層、医者も教師も両親(父親ですが)も見ている。どうしてこんなことが可能になったのでしょう。

I:どうして可能になったと思われますか。

S:例えば多くの人が自分は関係ないと思うとか、ただの写真じゃないか、大したことない、などと思うのではないでしょうか。ですから、私はこの種の会議で問題が表面に出て、討議され、いろいろな手が打たれることは喜ばしいと思います。

I:メディアがペドフィールのなまえを発表すればいいと言う意見に対してどう思われますか。

S:それは大変複雑な問題です。こういう人たちは子どもに接触のある職業と関係してはいけないのです。こういう人たちは助けてあげるべきです。医学的に、精神的に。

I:このような犯罪を犯す人は、子どもの時に暴行されたりしていると言われています。それに対して同情するべきだと思われますか。

S:この人たちは病気なのです。本当は社会が助けを差し伸べるべきだと思います。

I:FNはスウェーデンも人権侵害が行われていると発表していますが、このことについてどう思われますか。

S:子どもの権利もですが、そのほかにもう一つ大切なことがあります。トラフィキングです。映画「リリー・4・エヴァー」をご覧のことと思いますが、スウェーデンに連れてこられて、売春を強制される女性達。この人たちを助けるのは、警察もとっても大変なことなんです。

I:セックス・ツーリスムに対してどう思いますか。新政府の観光大臣、モード・ウロフソンは入閣2年となるのに、ほとんど何もしていないことに対しては。

S:今日では600の旅行会社が斡旋などしないと言う宣言書にサインしています。そういう意味で進歩はしています。

I:FNの子どもの権利に対する条約をどう思いますか。

S:この条約がもっと知り渡ればいいと思います。子どもが自分の権利を知るということ。その場合、今のスウェーデンで学校でどのように扱っているかを一考する必要があるでしょう。来年はこの条約の20年記念です。その誕生プレゼントとして、このようなことを考えて欲しい。

I:USAがFNのこの条約を批准していないことについて、どう思われますか。

S:USAは署名はしましたが、批准はしていません。この条約では子どもの定義は18歳です。16歳ではありません。私もなぜ批准しないのか疑問に思って、彼等に聞いてみたのですが、ある国会議員は「FNの言うことを聞きたくない。我々は独立の国家なのだから」と言っていました。私の答えは「私の国も独立国です」

I:新しい大統領になったら変わると思われますか。

S:そうだといいと思います。

I:避難民の子ども達、特に移民を拒否されて隠れている家庭の子ども達に対して、どう思われますか。

S:そういう子ども達は大変難しい立場にあると思います。(しばらく沈黙)私自身の考えがありますから、この質問に答えたいのですが、これは政治的な質問なので、次の質問に移ってください。

I:どういう意味で政治的なのですか。

S:これは政治にかかわっている人たちが解決することです。私も考える一個人ですから、自分の意見はあります。でもそれは彼等と直接話し合いたい。ここではこの問題は話し合いたくないのです。

I:最後に、王室は意見を言うことを禁じられていますが、狼に対してでも何でもいいのですが(王様は最近、狼猟に賛成する意見を述べ、アカデミーの会員の一人、著作家に批判された)、王家は口を出さないと言う禁則は強すぎると思われますか。

S:ええ。多分。狼については、主に二つの意見が対立していますが、何も知らない作家が意見を述べるのは…

I:王室はもっと意見を述べられるほうがいいと思われますか。

S:一度子ども達が小さかったとき、学校の成績評価について、親として、と断って意見を述べたことがあります。それでも大議論になって…私たちも考えのある人間です。もちろん政治家のしごとも尊敬しますし、法律も尊敬します。でも非常に個人的な問題、特に子どもに関しては意見を控えるのは難しいと思うこともあります。

I:今日はどうもありがとうございました。

2008年10月29日水曜日

IKEA


テレビでIKEAの創始者、イングヴァー・カンプラードのインタビューを見ました。82歳。かくしゃくたるものです。今でも毎朝6時半から事務所に出てくるそうです。そして夕方6時半まで仕事をしているといっています。
息子が3人、全員IKEAで働いているけれど、跡取りはまだ決めていないそうです。全体を理解して取り仕切るまでにいっていないから。今でも発言権は強く、ついこの間も洋服ダンスのガラスの戸をキャンセルした。個人が取り扱うのには重すぎるという理由で。
IKは1926年生まれ。5~6歳ですでにマッチ、クリスマスカード、種、クリスマスの飾り、万年筆などを売っていた。お父さんが取る魚を半額で分けてもらい、売ったこともある。IKEAは1943年に会社を作ったが、家具の販売は47年から始める。IKEAという名前は自分の名前と出生地のイニシャルをつなげたもの(Ingvar Kamprad, Elmaryd, Agunnaryd) 。始めは他の家具の会社から散々いじめられたそうです。ストックホルムの見本市に入場禁止され、絨毯に包まれて、知っている人にこっそり運び込んでもらったりしました。
そういう理由で先ずデンマークに進出。その後、ポーランドなどの東欧で生産、安い家具で名を馳せる。今では、世界中に150の販売店を持つ。
若いときに右翼の党に入会していたことが、1990年代に発覚。そのことを聞かれて、「ユダヤ人の従業員に手紙を書いて謝った」と言って涙声になる。インタヴューアーが急いで次の質問をしようとすると、さえぎって、「400人のうち398人があなたを支持すると言ってくれたんですよ」と泣き声になった理由を述べていました。ちょっと以外でした。 
また、アルコーリストと言われていた事について。ポーランドで仕事をしていた時、食事ごとに、コップで乾杯して一気に強い酒を飲む。そして空のコップを頭の上に載せなければならない。その後またすぐに、スウェーデンのためにとか、友好のためにとか、IKEAのためにとかいって飲む。始めはおいしいとも思わなかったけど、1-2年たつとおいしいと思うようになって…そこで、医者に相談したら、1年に2回3週間ぐらい禁酒しろ、と言われた。もう40年ぐらいやっているけど、今では年に3回、6週間ぐらいやっている。今年は6月4日から全然飲んでいない。
今後も新しいイングヴァー・カンプラードが生れると思うか、という質問に、もちろん出てくるだろう。でも私の時代は父を手伝って、ジャガイモを掘ったり、木を切ったりしていたので、何をやっても失うものはなかった。今はみんな大きなうちに住み、高いボートを買ったりで、失うものを持っているから、恐ろしくて大きなことが出来なくなっているかもしれない。同時に、いろいろな可能性も昔よりずっと多いから、これからも事業者は出てくるだろうと結んでいました。
とにかくいろいろ言われている人で、個性があって面白かったです。

2008年10月24日金曜日

近況再び

今日、再び病院に行きました。レントゲンを取り直し、結果はOK(骨がずれたりしていなかった)なので、仮のギブスをはずして、本格的なのに取り替えました。
今は技術が進んでいて、とても簡単に出来上がりました。驚いたことにはギブスの色が選べることです。選択は緑、黄色、紫、白、黒の5色。どうせならとんでもない色がいいなあ、と思い、紫にしました。5週間、自由に動けません。4週間目からは足をついて歩いていいそうです。11月28日にギブスをとります。ああ、待ちどおしい。

2008年10月21日火曜日

韓国

菅野朋子という人の「好きになってはいけない国・韓国発!日本へのまなざし(文藝春秋文庫、2005年版)」を読みました。韓国のことはあまり知らないな、とは思っていたのですが、自分のあまりの無知さにショックを受けました。
同時に韓国の日本批判のすさまじさにもショック。
この本は主に韓国の若者文化、特にJ-POP に夢中になる若者達を中心に語られています。そして本の題名「好きになってはいけない国」という発言があります。ジャニーズの歌手達が「カワイ」くて大好き。ファンクラブを作り日本にもお金をためて来て、コンサートにグッズ店にと押しかける。でも「日本は好きになってはいけない国だけど、最近だんだんすきになった。やばい」と思う中・高生。
まあ、考えてみれば、ビートルズが好きな人が全員英国が好きなわけじゃないから、かまわないのだけれど、国を挙げての「日本は追いつき、追い越す国。嫌いでなければならない」と教育されている事実をインタビューするごとに聞かされるつらさ。教育の恐さ。
いっぽう、日本人はというと、韓国を徹底的に無視。さすが、ヨン様ブームからは少し変わったかもしれないが。
読みながら、一体どうしたらいいのかなあ、絶望的な行き違い、と思った。
韓国のことをもっと知りたい。
私のように無知な人にお薦めしたいです。

2008年10月19日日曜日

車椅子

金曜日にスヴェンが車椅子を借りてきました。
朝、病院に電話したら、そこでは貸し出ししていないそうで、街中に「ハンディキャップ・センター」というのがあるから、そこに連絡しなさい、ということでした。早速連絡してみると、ただで借りるためには、本当に必要かどうか調査して、その結果を待たなければならないそうです。そうでなければ、1ヶ月414クローナで借りられるそうです。動きが取れなくて参っていたので、すぐ借りてくることにしました。実に調子のよいイスで、音もなくスーッと動きます。これで家の中だけは勝手に動き回れることになりました。猫のグルッセは懐疑的。金曜日は1日どこかに隠れていたみたい。外でなければいいんだけど。彼は最近少し風邪気味です。

2008年10月17日金曜日

あじゃー

二日前の続き。
足の調子がやっぱりおかしいので、医者に行きました。
というと簡単なようですが、ここスウェーデンはそうはいかない。

スヴェンが運転して、先ず私たちが属している診療所に行きました。時計は午後2時半を指していました。お医者さんに会ったのが3時。これは早い。でも、ここではレントゲン撮れないから、近くの病院に行ってください。スヴェンは「ミルク買いに行くね」といって全然帰ってこない。30分待ってやっと病院へ。時計はもう4時。レントゲンはかなりすぐに撮ってくれたのに、結果報告を書くのに時間がかかる。それを持って又診療所に。なんと、足の骨は折れていました。くるぶしの近くで2センチぐらいだそうです。ギブスするから、すぐに街の南の端にある病院に行きなさい。診療所のある北の端から南の端まで。病院に着いたのが5時半ごろ。スヴェンはグループと練習のためそこで別れました。それから延々と待たされて(緊急病院が一番混んでいる)、お医者さんに会えたのが夜の8時。ギブスが 巻けたのが9時。乾くまで少なくとも1時間待ちなさい。10時に練習が終わったスヴェンが迎えに来てくれました。2時半から10時まで3箇所を行ったりきたり。こんな姿になりました。今座っているのはこのコンピュータの前です。お医者さんは右足は使うな、松葉杖をつかって、左足でピョンピョン歩け。なんて言うけど、そう簡単にはいかないのです。

先ず、足の骨を折っても痛くなかった。20年前に交通事故で首の骨を折って以来、右半身は痛み、暑さを感じなくなっているのです。でも右足のほうが左より強い。だから左足で体が支えられない。本当に踏んだり蹴ったりの結果になりました。これから4週間。今日はスヴェンに車椅子を借りに行ってもらおうかと考えています。

2008年10月15日水曜日

文藝春秋

文藝春秋9月号の記事に堺屋太一(元経済企画庁長官)が「日本経済、凋落の十年・恐慌的スタグフレーションが来る」というかなり衝撃的な記事を書きました(今全世界に起こっていることを考えると、あまり衝撃てきではないかもしれませんが)。

今、世界に起きている経済の経理を私のようなものでも分かるように、やさしく書いてあります。
「日本経済はいまだかって経験したことのない深刻な危機を迎えています。「内憂外患」に加えて「身中の虫」にも取り付かれた三重苦の状態の陥っているのです」という書き出しです。

今回はこの中でも「外憂」について書いています。特に面白かった(!?)のはアメリカのニュー・リベラリズムのメカニスムを非常に明快に説いているところでした。

まず「現在の国際経済を論じる時そのキーワードは「ペーパーマネー」「証券化」「グローバル化」の三つです」と語り始めます。
「ペーパーマネー」の問題は1971年ニクソンショックによって金本位制が停止されたところから始まります。ニクソン、カーター両大統領はまだ大人しかったのですが、レーガンになってから、大胆になり、減税(当時のアメリカのGDP比で2,9%)をお金を刷ることによって実行します。こうなれば先ずインフレがひどくなるはずですが、それをレーガンは貿易の自由化によって切り抜けます。日本から自動車、香港から繊維製品、中国から玩具というように安い物を世界中から輸入して物価の上昇を抑えました。それによりアメリカの製造業は破滅的打撃を受けます。それを切り抜けるために、アメリカの工場はアジアで生産して、自社のブランドで売る。それによって利益を得るようになりました。その課程で中産階級の没落が起こりました。「要するにレーガン大統領の経済政策(レーガノミックス)は、ペーパーマネーの供給を増やすことで財政赤字と貿易赤字を賄う一方、グローバル化によって物価を安定させました。それによって生産業が衰退し、新型サービス産業や情報産業等が成長、産業構造も転回したのです」アメリカがいくらでも買ってくれるのですから、世界の国々はアメリカに近接、ソ連陣営は見捨てられました(ベルリンの壁崩壊)。日本などは工業依存の形から抜け出せなくなります。
アメリカは国債の発行、外国からの借り入れで国際収支を賄っています。金と交換する必要がないから、できるのです。それでも通貨が過剰にならないためには、通貨の借り手を増やさなければなりません。ここに現れるのが「天才的偽装=サブプライム・ローン」です。そしてこの偽装を拡大したのが証券の「グローバル化」です。このほかにも石油の問題などいろいろあるのですが、大筋としては世界経済が今日に至る過程が実によく説明されています。来月はその続きで、「地方の没落に象徴される内憂と、退廃した官僚という身中の虫」について述べるそうです。今から楽しみ(!?)です。
それにしてもこの堺屋太一という人、1998年ごろ小渕内閣で経済企画庁長官をしていたということですが、こんなに頭脳明晰で、物を簡略に説明できて、すぱっと物が言える人が内閣にいたのに、日本はどうしていつまでも低迷しているのかなあ、と不思議に思いました。

木を切る

庭の端に生えている見事な楡の木。石の上に生えているためか、最近少しずつ傾いてきました。
そうすると庭が一日中日陰になってしまいます。
お向かいのおじさんが、切ったほうがいい、思い立ったのが吉日、やってしまおう。という訳で切り始めました。

最初はスヴェンと二人きりで。

見かねたお隣さんが電気のこぎりをもって助太刀に。
中心まで切ったら、ひびが入ってしまいました。ー これはむずかしいぞ。


見事。倒れた瞬間。

倒れる前に、ギリギリと悲鳴をあげているようで…

木さん、ごめんね。お神酒もあげないで。
近所が帰ってしまった後、スヴェンが枝を切り落としています。

私はその枝を運ぶ役。木の向こう側にある枝を引っ張ったとたん、大木が私たちの上に倒れてきて、私は足をはさまれ、う~ん。右足がつけなくなってしまいました。緊急病院にいってもどうせ10時間ぐらい待たされるから、様子を見ることにして、ソファーにひっくりかえって、テレビを見ていました。少しよくなったみたい。よかった、骨に異常はないようです。

お隣さんはこういう事は色々知っていて、後で教えてくれました。『本当は切りたい方向に三角形に切込みを入れる。次に反対側から切っていく。そうすれば絶対に望んだ方向に倒れる。でもこんなに風の強い日には切ってはいけないんだよ。』

私たちはこんなに傾いてしまったのだから、反対側から切れば絶対に倒れるべき方向に倒れると思っていたのですが、なにごともに薀蓄(うんちく)があるのですね。

2008年10月13日月曜日

Tシャツ

昨日買ったTシャツです。 ワンちゃんのちょっと意地悪そうな目つきが気に入りました。
背中にも続いています。

2008年10月12日日曜日

展示会

昨日は友だちの絵やテキスタイルの展示会に行きました。
ご夫婦での企画です。ご主人は絵やイラストを描きます。奥さんがテキスタイル・アーティスト。
ご主人の絵の中から選んでバッグやTシャツにプリントしてありました。
ご主人の絵。子どもの遊びの特集のようです。子どもの頃を思い出して懐かしくなりました。
こちらは奥さんの作品。Tシャツを買いました。






アーティストご夫妻。
生演奏もあってなかなかにぎやかでした。

2008年10月10日金曜日

いか

今日テレビで自然紹介の番組を見ていたら、イカ、タコの話でした。
スウェーデンの西海岸にも住んでいるんですって。
番組ではプログラム・リーダーが海に潜って、イカの生態をカメラに収めようというもので、2日に渡って昼も夜も20メートルの深さを探し回るのですが、結局見つからなかった、というどうも締まらないお話でした。

それでイェーテボリの博物館の係員の話を聞いていました。
たまに漁師の網にかかる事があって、生きているのはここの水族館に来るのだそうです。 水槽の中でのそのそ歩いていました。かなり頭がいいんだそうで、ガラスのビンに冷凍のエビをいれて、ふたをして与えると、体全体でのしかかり、蓋をねじって開け、中身を食べて蓋とビンをポイッと放り出して、スイスイ泳いでいってしまいました。これはタコみたいでした。今度見に行こう。

その後イカがどんな形をしているか見せるところで、死んでしまったイカを見せていました。それが、なんとこの前買ったイカとそっくりなのです。大きさも同じぐらい。

あのイカももしかすると西海岸で取れたものだったかも!だったらもっとちょくちょくお店に出てもいいのに。

2008年10月9日木曜日

Sven の今日

スヴェンがこのところ夜中じゅうコンピュータの前に座って楽譜を書いています。
何をやっているのか紹介します。
下の写真はレーゲンスブルクの市立図書館にある楽譜集オリジナル最初の2ページのコピーです。
1555年にヘッセン兄弟によって出版されたダンス曲集のテナーの部です。

昔はスコアは作らなかったのだそうです。この曲集は5声部のもので、5冊のパート譜に分かれています。何部印刷されたかは分かりませんが、今のところ知られているのは、レーゲンスブルクの図書館にワンセット保存されているだけです。ところがこのセットはディスカント(ソプラノ)の部が紛失しているのです。
16世紀半ばの音楽というのはディスカント(最上部声)かテナー(第3部声)にカントス・フィルムス(メロディー)が置かれているそうです。この曲集は2部に分かれていて第一部は322曲、第2部には155曲、全部で477曲が収録されています。いわばダンス曲集の宝庫のようなものなのですが、多くがロディーが欠けていることから、演奏不可能だったのです。
今スヴェンがやっているのは、この曲集を再生させることです。
この時代の作曲/編曲法は先ず最上部か第3部にメロディーを置き、次に各部声を独立に作曲していくのだそうです。例えば一番トップにメロディーが置いてあるとすると、次はテナー、それからバス、アルトをそれぞれ作っていって、最後にヴァガンスと呼ばれるものを足します。ヴァガンスはどの部声と決まっているのでなく、最後の締めくくりに当たるので、高かったり低かったり、あちこちに現れるのだそうです。
このような構造になっているので、現在紛失している声部を再生するのは言ってみれば探偵が現場に残された証拠を集めて犯人を推察するような仕事になります。何年も前にはじめたことで、今、400曲近くを作り上げたらしいです。
完成を見た曲はその週のコンヴィヴィウムの練習で試され、仲間の意見を聞きながら、直したりします。私も時々、「これはなんのダンスだと思う?」などと聞かれたりしています。
恐ろしく根気の要る仕事をしているのだけど、本人は楽しくてしかたがないみたいです。

2008年10月6日月曜日

昼ごはん

最近、昼ごはん(ここでは昼ごはんが一番大きい食事です)を作る様になりました。仕事から解放されたので、毎日なんやかんや作っていたら、スヴェンがまた太った!かれはもうメタボなんてもんじゃない。これはまずい。
仕事をしていた頃は私はほとんど外で食べる。スヴェンはというと、冷凍食品をチーンして、食べていました。一人分というのが、彼にとってはちょっと少な目なんですが、あんまりおいしくないから、それ以上食べないで我慢してしまう。で、減量できたのだそうです。
今後はお弁当形式にして、一人分箱に詰めて、後は片付けてしまうしかないでしょうかねえ。