2008年8月28日木曜日
2008年8月27日水曜日
マーラー(6)
夜は7時からマーラーのコンサートをしました。ヴァーサ教会のオルガンを使って、編曲がどのようになっているかを見るために行いました。いわば来週の録音の予行演習のようなものなので、ほとんど宣伝をしなかったのに、お客さんがかなり入りました。レジスターにいろいろ問題があったけれど、とても成功しました。さあ、これから録音です。
ペガサスもこの録音もマーラーの「源光」が含まれています。それで思いついたのが、3月2日の日本でのリリースにマリアを送って、ペガサスと共演させてみようということでした。条件が上手く合えば、可能性は大です。みなさん、どうぞお楽しみに!
2008年8月24日日曜日
2008年8月19日火曜日
2008年8月18日月曜日
アンナ・ラーソン
土曜日は朝から子どもたちのためにパーティを準備して、近所の子ども達をよんであげて、3時から5時までマリアを教えて、夜8時からはオペラ座の横にある広場で野外演奏会がありました。サンサーンスの「シムソンとデリア」アンナの相手役はこれも世界的なテノールのラッセ・クレーブランド。アンナのすごいバイタリティーにはびっくりです。
野外コンサートの後で、近くのバー・レストランに行きました。ピアニストのマッティ・ヒルボネンと彼の娘さんも一緒でした。マリアがアンナにSMSを送ったら、彼女もそこに現れました。
シャッター・チャンスが悪くてすみません。右の写真、手前はアンナとマリア。後ろに立っているのはマッティです。
日曜日はアンナの自宅でレッスン。彼女と家族(ご主人と坊やが二人)はストックホルムの郊外にあるリーディングオーというところに建築家が建てた新築の家に住んでいます。
彼女は素晴らしい歌手でもあるし、教師でもあります。私は生れて初めて、本当に高度の歌のレッスンというものを経験しました。生徒にとっては新しいテクニックを引き出してあげて、納得させながら教えていく。生徒の悪い癖を真似するのが実にうまい。例えば、歌手の先生がよく言う、「アゴをリラックスしなさい」というだけだと何が起こるかを実演して見せます。マリアのドイツ語が暗くなりすぎるのに対して、この写真では母音を口の前のほうに持っていく方法を指導しています。
マリアは9月にムシカ・レディヴィヴァ(www.mrcd.nu) のラベルでマーラーを入れるために、このレッスンを受けているのですが、アンナはアバドの指揮でマーラーをほとんど全部歌っているのです。彼女が本当に寛大だと思ったのは、彼女自身がアバドの元で練習した時、彼がどんなことを注意したか、逐一マリアの教えてくれたことでした。勿論アンナがマリアを買ってくれているからなのですが。
レッスンの終わりにアンナが与えたこと。
「歌手のように振舞うな。そういった取って付けた態度を全部取り去って、マリアという人間の中身だけになって歌いなさい。私はそれが一番大事だと思います。それは聴衆の前に全てをむき出しにしてしまうことなので、とても勇気がいるのだけれども、成功すると、本当に心を打つ歌になるのです」
アンナもそれを一生懸命に実施しているのでしょう。
帰りのストックホルムの駅でほっとして一息。マリアは大好きなイタリアン・アイスクリームを吟味しています。
帰りの電車が遅れて、イェーテボリに着いたのは夜の10時半でした。
くたくたに疲れたけど、とても実のある週末でした。
2008年8月15日金曜日
友だち(3)
駅まで送っていったのですが、この駅の能率の悪さ。ちょっと信じられない。
先ず、プラットホームに着いたら、もう相当のお客さんが待っていました。ホームがほとんど一杯のなるくらい荷物と人の山です。電車は未だ来ていません。何号車がどこに着くのか全く分からない。電車はどうも遅れているらしい。車掌さんらしき人に聞いても「11号車ですか。はあ。一番前か一番後ろでしょう(!)」 一体、どこに行けばいいの?掲示板には「列車を時間どうりに運行するために、発車時刻の30秒前にドアを閉めます」というインフォが走っています。なんじゃい、これは?
やっと電車が入ってきました。車両に番号が付いていない。お客さんはみんな右往左往。Hさん夫妻は1等だったので、車両にオレンジの線が2本入っているのを探せばいいからまだ分かるのですが。
それでもみんなどうと言うことなく黙々と乗り込んでいます。
「定刻発車」という本を読んだ私には、この手際の悪さは開いた口がふさがらない。Hさんも「おやまあ」という顔でした。電車は勿論大分遅れて出発しました。
夫妻と別れてから、近くの市場を訪れました。手芸品の展示でした。
鍵を保管する装置を売っていて、気に入ったので買いました。
これはそれを作ったおじさん。
2008年8月14日木曜日
友だち(2)
友だち
奥様は歌手。ご主人は今、翻訳家として退職後の人生を楽しんでいらっしゃいます。
1999年、スヴェンが日本でコンサートをした時に共演してからのお付き合いです。とっても素敵なご夫婦で、今回は奥様がエストニア、タリンのピアノの学会で歌われるので来欧。ここまで来てくださったのです。ご主人は奥様のサポート係を見事にこなしていられます。ご自分の仕事に誇りを持ってしっかりとやってていらっしゃった(いらっしゃる)方は、脇役になっても元の魅力をもったままで、ゆうゆうとしていらっしゃいます。
スウェーデンの新幹線、X2000に乗って(鉄道はご主人の趣味の一つなのだそうです)ストックホルムから3時間。午後に中央駅で再会しました。
ホテルで一息。今日、最初の目的地はチェンバリスト、アンドレアス・エードルンドです。
アンドレアスとはやはり1999年からの知り合いです。日本公演のとき、アンドレアスも一緒だったのです。先ず、彼のスタジオに行きました。このチェンバロは久保田彰さんの製作です。日本でも有数な製作者の久保田さんは当時まだ若いアンドレアスにほれ込んで、このチェンバロを生涯貸し出しという条件で作ってくださいました。アンドレアスもその期待を受けて、素晴らしいチェンバリストに育ちました。今は、演奏も理論もこなす音楽家となっています。彼は9月にはイェテボリ大学、音楽科でマスターを取るところまで来ています。イェテボリ大の音楽科には、音楽家であっても修士や博士号が取れるシステムがあります。つまり、音楽家として完成するということは、実践上の経験と共に内に溜まっている技術や知識があるのですから、それを元に研究テーマを選んで書くことが出来るはずだ、という考えから作られた部です。
アンドレアスの研究テーマは「18世紀の演奏法、ひとつの選択」という副題で、ペルゴレーシのスタバート・マーテルを50年後に書き直した(改作した?)フォーグラーという人の作品を中心に自分の経験と比較したものです。アンドレアスは小さいときから通奏低音に興味があって、音大もクラリネットを主楽器に選んで入学したのに、チェンバロで卒業するという変り種です。教会音楽家のタイトルも持ち、クラシックの鍵盤の技術もある上に、フォークのグループなどでもジャムセッションのようにアドリブを演奏することが出来る。学生時代にはスヴェンのグループで古楽器の多種類(リコーダー、ドゥルチアン、ポンマー、クルムホルン等の吹奏楽器からハープ、クラビコードまでこなすというオールラウンドの才能の持ち主です。チェンバロに興味を持ったときから、バロックの音楽家(作曲、演奏、インプロなど総合的な音楽の知識と演奏技術を持つ)を目指していたのだと思います。そして今、そのような音楽家に成長していく段階で、現代、バロック的な音楽家であるとはどんなことを意味するのかを考えた。それを論文の形にしているのです。指導教官に気に入られて、博士課程も、と勧めるられているらしいです。若いのにこのような経験を持っているので選べた主題だと思います。論文に書いている考え方をHさんのご主人にも披露して、意気投合していました。
アンドレアスの演奏を聞いた後で、彼のアパートに出かけ、奥さんや子ども達にも会いました。99年には彼は独身だったので、Hさんご夫妻は家族と初めての出会いです。
その後で、ホテルに帰り、そこで食事をしました。私と奥さんはアンコウの焼いたの、ご主人はスウェーデン名物、ショットブラー(肉団子/ミートボール)でした。
2008年8月10日日曜日
廃墟でコンサート
イェーテボリ北方30kmのところに大きな廃墟があります。もともとは砦として13-14世紀に作られたものです。当時はここはノルウェー領でした。ヨータ・エルベ川のほとりに建てられイェーテボリを北に上っていくと目の前に立ちはだかるように偉大な姿を現します。
2008年8月4日月曜日
定刻発車
膨大な日本の鉄道のシステムを解き明かし、なぜここまで正確にならなくてはいけなかったのかという疑問に迫ります。いつも正確なのが当たり前と思っている鉄道。読むとその背景にどれほどの努力が秘められているのかを垣間見ることが出来て、びっくりしました。同時にこの勤勉さ、几帳面さが日本が驚くべき経済発展したことなどにも結びついて、日本人の性格まで考えさせられる本です。
まず、「定刻」という言葉の定義が国によって違うので、比較の仕様がないのだそうです。例えばドイツでは15分遅れが遅延と定義されている。だから14分送れて目的地についても定刻なのだそうです。ヨーロッパの国はいずれも多かれ少なかれ同じような定義だそうです。ところが日本ではなんと1分の遅れを遅延としている。フランスの鉄道が96%、日本98%正常運転といっても比較の対象が違うのでお話にならないのです。(ちなみに2003年の新幹線の遅延は0.3分だそうです。平均で33秒しか遅れていない!)
ラッシュ時の東京、中央線が2分間隔で運転している。外国ではそんな間隔で1本のレールを使うことがないので、15分遅れもすぐに回復できる。そしてどうしてそうなってしまったのかも説明されています。
定刻発車ということは何百人、いや、何千人の人たちのチームワークでなりたっている。台風などのかく乱要素が前の日から予想される場合には、人事や経理の人たちまで駆り出して対策に当たるのだそうです。彼らは「自分の仕事はお客を整理することではない」などといわず、前の日には制服を家に持ち帰り、翌日直接指定された駅に出向き、駅員を助ける。飛び込み自殺など予想されなかった事故が起こった場合にも、すぐに飛んでいく体制が整っているらしいです。
また、新幹線の列車が毎回寸部も違えずに指定の位置に止まるのでも分かるように、運転手の運転腕前も大したものです。自分の運転するラインは微に入り細に渡り記憶していて、10秒の遅れをいかにしてどこで取り返すかなど、常に考えながら運転しているそうです。日本は山あり川ありの起伏に富んだ地形で、その上駅と駅の間も短い。だから、普段でもここのカーブは時速何キロではしる、あそこの坂は何キロと言う具合に細かく決まっているのだそうです。遅れた場合(秒単位で)どこで、どうやって取り返すかは運転手の腕前となっています。
このようなチームワークは日本人の特徴だと思います。
私が50歳になったとき(スウェーデンでは大きなお祝いをします)、80人ぐらいのお客さんを集めてパーティーをしました。場所はイェーテボリのコミューンが持っている集会場。台所、ナイフやフォーク、お皿なども備え付けてあります。6-7人の日本人の友だちが手伝ってくれることになりました。何の料理を出すか、だれが作るか、当日はどうやって料理を運ぶかなどおおまかなことは決めてありましたが、皿洗い、料理の出し入れ、掃除などあまりはっきりしていませんでした。私は当日着物をきて、いらっしゃったお客様たちとチャラチャラしていたのですが、驚いたことに、日本人達はみんな、必要なことを自分で見つけてどんどんやっていくのです。台所には知らないうちに誰言うともなく役割が決まっていて、汚れた皿をどんどん集めて、洗っていく。それを拭く係りがいて戸棚に入れていく。また皿が必要になると誰かが取りに来る。大皿に盛った料理が少なくなると、脇に寄せ、ほかの料理と一緒に盛りなおす。等など。見事なチームワークでした。スウェーデン人では絶対に考えられない。
このように日本人は3人集まると、何も決めなくても、チームワークが成り立つのです。
私はイェーテボリ大学の日本語科の教師を務めていましたが、ここでも同様。昔は今のように便利なコピー機がなく、試験は自分でコピーし、1枚1枚拾ってホチキスでとめるという結構めんどうなことをしていました。だれかが自分の作った試験を綴じはじめると、時間のある仲間が黙って横に並び手伝う、等ということはごく普通でした。
しかしこういった仲間意識はある意味では外部の人(たとえばスウェーデン人)を無意識のうちに締め出してしまう可能性もあるのです。そしてその気はないのに、外国人との対立を作り出してしまう。その危険性はいつも十分心得ておく必要があると思いました。
とにかく面白い本です。
2008年8月1日金曜日
INTERLINGUA
下の写真の字を読んでみてください。
インターリングアです。7月30日から8月3日までリンショーピングのFolkhögskola(国民高等学校)で開かれている会議に出席しました。ご覧のようにイタリア語によく似ています。
インターリングアはアメリカの大金持ちの婦人が資金を出し、世界中の言語学者を集めて作らせた新しい言語で1951年に完成しました。英・仏・伊・西/葡語の共通点を組み合わせたものです。(独・露語も参考程度に使用)。したがって、ある意味では生きた言葉で(現代のラテン語ともいわれる)、ヨーロッパ人のほとんどがこの言語を知らなくても理解できます。文法は非常に簡素。主な文法はA4に1枚で説明されてしまいます。日本ではまだあまり知られていませんが、会議には私を除いて日本から1名の参加がありましたから、これから増えていくのではないでしょうか。
会議は典型的なスウェーデンの国民学校で行われました。素晴らしい夏の天気。外に座ってコーヒータイムを楽しんでいます。
会議期間には初心者コースも行われ、みんな熱心に勉強中。
チェンバロ・コンサート
イェテボリ北東80キロ、トロルヘッタンで行われたチェンバロ・コンサートに行きました。
車でお隣のおばさんと一緒です。
バッハのゴルトベルク変奏曲でした。演奏はムジカ・レディヴィヴァでもお馴染みのベンクト・トリブカイト。初めて彼の自慢のチェンバロを聞くことが出来ました。素晴らしい腕前、美しい音で素敵なコンサートでした。
夕暮れの迫った教会。残響が強くなく、よい音でした。
コンサートの後のベンクト。教会の前で。