2008年7月28日月曜日

サマー、サマー

今日はスウェーデンのラジオでとても人気のある番組について書きます。

毎年夏になると「Sommar, sommar(夏、夏)」という番組が始まります。午後1時~2時半まで、毎日、色々な人が1時間半話します。大変ポピュラーな人物(映画監督、イングマー・ベリィマンも参加しました)が自分の思っていることを音楽を交えながら自由に話します。今年も1ヶ月前から始まり、2ヶ月間で58人の人たちが話します。有名な人、テレビで人気のある人、外交官、全く普通の人と、土曜日も日曜日も毎日です。聞いているとふざけて話す人、真面目に自分の意見を言う人、子どもの時の思い出を話す人とヴァリエーションがあって結構面白いです。この人はこんな背景があったのか、とかこんなことを考えていたのか、とか、音楽の趣味も分かって、仕事をしながら聞いたりしています。スウェーデンらしい番組だと思います。

視聴者からどんな人が聞きたいかリクエストを募っていましたが、なかには「王様」なんていうのもありました。カール・グスタフさんに1時間半自由に話させて、音楽をかけさせたら面白いだろうな、と思いました。

2008年7月25日金曜日

のんびりと

普段は南フランスに住む友達から電話で、今ショーン島に別荘を借りているから遊びにおいで、とお声がかかりました。 イェテボリから60km北の島です。

天気は最高。30度になるかもしれないそうです。別荘は海岸に建っていて、家を出て石段を下るとすぐに海に飛び込めます。お昼はエビ・カニづくめ。夢中で食べ終わって、あっ、写真撮るの忘れた!



テラスで寝そべっていると、背の高いヨットがやってきました。モーターボート、スクーター、小さな船など、海は結構にぎやかです。





食後、海に入って、甲羅干しをして、友達とスヴェンはデキシーランドに興じています。本当にのんびりとした午後でした。

マーラー詣で(5)

7月21日
ウィーン最終日。
お天気は最高。やっぱりもう一度ハイリゲンシュタットにホフマンの設計したアルマのうちを見に行こうということで、朝から出かけました。今度こそ場所も分かったから、しっかり見てこようと決心。郊外の住宅地で、ベートーベンの像のある公園の一角に当たります。
あった、あった。一番左端にあるのが1901年に建てられたカール・モルとコロマン・モーザーの共同住宅。白い壁にブルーの枠がすっきりと美しい。かなり大きな家です。
1907年にアルマの義父のモルは3軒先に建てられた新築の1軒家に移ります。白と黒の美しい模様のある家です。ここでは写真に上手く写りませんでしたが、本当にホフマンらしい瀟洒な建物です。マーラーは1911年にニューヨークから戻り、この家で亡くなりました。
ここに立っている4軒の家は全てヨセフ・ホフマンの設計です。Streiffert社出版 の「ウィーン」というガイドブックを見ると、どう数えても1軒多くなっています。つまり本には5軒あるように書いてあるのに、実際は4軒しかないのです。ガイドブックというものにはこういう間違いもあるものなのかな、と思いました。


シュタインフェルトガッセ4番もホフマンの建築。番地を示す数字もユーゲントシュティールです。





通りの反対側はハイリゲンシュタット公園です。
小高い丘になっていて美しいところです。
坂道を降りていくとベートーベンの像が立っていました。マーラーもこの辺をアルマと散歩したのでしょう。左端の小さな標識は犬の絵が描いてあって、ウンチさせると35ユーロ罰金と書いてありました。この標識は街にも沢山立っていました。もう少し先に行くと、箱が置いてあって、中にプラスティックの袋までありました。
街に戻り、またウィーンの友だちに会い、一緒にオペラ座の近くで日本食の昼ごはんを食べました。
私のはひさごべんとう。これがまた、すごくおいしかった。友だちの注文した親子どんぶりも卵がとろりとしていて、おいしそうでした。スウェーデンでもこのくらいおいしい日本食を出せないものでしょうか。






友だちと分かれて、ウィンドーショッピングのあと、最後は勿論ザッハトルテを食べました。バーに座ったので、ウェイターが物凄い速さで効率的にサーブするのかが良く分かりました。お店はいつもいっぱいです。



これでウィーンとお別れです。モーツアルトとベートーベンとクリムトだらけでちょっとうんざり。マーラーなどマの字もない街でした。でも街自体はやっぱり老舗の貫禄を持っています。また来たい街です。

2008年7月23日水曜日

マーラー詣で(4)

7月20日

日曜日。朝、シュテファン教会でモーツアルトの Missa brevis D-Dur を聞きに行きました。大きなドームの中は完全に一杯でした。コンサートと思っていたら本当にカソリックのミサでした。コーラスは25名ぐらい、ソリストがソプラノ、アルト、テナ、バスの4人。演奏者は第一、第二ヴァイオリンとビオラが各二名ずつ、後はチェロとコントラバスが一台ずつプラスオルガン。小編成でしたがなかなかよかった。特にミサの進行に合わせてモーツアルトを演奏するので私たちは立ったり座ったり、歌ったり その毎に大勢の聴衆がガサゴトする。演奏は何事もないように続けられる。セレモニーの機能の中でのモーツアルトというのがとても新鮮でした。でもモーツアルトの時代には本当にこのように音楽が使われていたのかな、とも思いました。


教会の外に出ると、人ごみの中にモダンな建物がそびえています。ガラス張りのその建物は教会が見えない側なのに姿が写っているという、面白いものでした。

それからMAT美術館のウィーン工房に行きました。ユーゲント・シュティールの大御所、ヨセフ・ホフマンの作品が展示されています。家具、食器、ナイフやフォーク、装飾品。斬新なデザインの中にどことなく優しさのある作品です。見ていると全部ほしくなる。ホフマンはその上建築も行いました。アルマの実家は彼の設計です。世紀末には本当に才能のある人たちがいっぱいいたのですね。



今日は美術館の梯子です。歴史博物館でクリムトの有名な絵、青い衣装の女性(エミリエ・フレーゲ)の肖像を見ました。秋に録音するマーラーの歌のCDの表紙に使おうかと思っていたので、ぜひ見たかったのです。「大地の歌」の最後の歌詞が、永遠の青い光を歌っているので、この衣装の一部にとひそかに思っていたのですが少々くすんでいて、永遠の光にはちょっと… 残念。

最後にマーラーが住んでいたアパートのある建物を見に行きました。写真中央の黄色い建物からかれは毎日オペラ座に通っていたのです。歩いて12-3分と思います。今はすぐそばの広場、シュヴァルツェンベルクは広々と整理されていますが、当時はオットー・ヴァーグナーによって川が埋め立てられ、大工事が行われていた一角です。


すっかり疲れて、ホテルに戻りました。

マーラー詣で(3)

7月19日

昨日まではウィーンの友だちが案内してくれて全てスムーズにいったのですが、今日からは二人で切り抜けなくてはなりません。そこで分かったのが、私たちは二人とも凄いのんびり屋でぼっとしていて方向音痴だということでした(Sさん、ごめんなさい)。これからは野次さん北さん道中です。

朝から素晴らしい天気でした。今日は1日マーラーがよく通っていた妻のアルマの実家がある北の郊外のほうに行くことにしました。ベートーベンが遺書を書いたハイリゲンシュタットの周辺です。昨日72時間通用という切符が買ってあったので、動き回るのに実に便利です。まずお墓のあるグリンツィングにたどり着きました。ここの教会は1911年にマーラーのお葬式が行われたところです。16-7世紀の建物が残っている小さい村です。 


教会ではちょうど結婚式が終わったところでした。

そこから坂道を登っていくと墓地に行き着きます。
墓地までの坂道。遠くにワイン畑が見え、本当に郊外に来た感じです。

墓地の入り口には案内図があって、ABC順に名前が書いてあり、お墓の番号がついています。
マーラーの墓も他の市民と全く同じ扱いで、アルマと墓地を1/2ずつ分けていることが分かりました。生前はマーラーを裏切り、その生涯を書いた本の中で「自分ではいっぱしの菜食主義者気取りでいる、この天才という肉食獣たちよ!」とまで呼んでいて、マーラー死後2回も再婚した彼女がここに葬られていたのは実に意外でした。
私がお墓の番号を勘違いしていたため、1時間以上もあちこち探し回りました。真向かいにまだ墓石も立っていない場所でおばあさんが一人座っていて、そこには木の十字架が立ててありました。おばあさんの途方にくれたような感じが痛々しくて、目をそむけるように通り抜けたところがマーラーのお墓だったのです。1時間も他を探していたのでおばあさんの邪魔をしないですんだから、まあいいか、と二人で納得しました。私たちはなんといっても観光客ですから。おばあさんが帰ってから良く見たら十字架に若い男の人の写真が張ってありました。

有名な作曲家が眠っているのに、どこにもそのような表示はありませんでした。日本なら絶対に「マーラーの墓石はこちら」なんて標識があちこちに立っているんじゃないかなあ、と話し合いました。
 


とにかくまあ、お墓までたどり着いたのですが、そこでまたびっくり。アルマの名前がどこにもないのです。この墓石はヨセフ・ホフマンがデザインしたもので、モニュメントの性格が強く、他の人の名前を彫る余地が1ミリもないのです。アルマはそれでもやっぱり幸せなのかなあ、と思いました。よくみると墓石の右下に小さく、ウィーン市保有と書いてありました。お花をあげながら、これもウィーン市が掃除してくれるのかな、なんて考えました。
坂を下りて教会まで戻り、真向かいの酒場でビールを一杯。こういうルネサンスの集落には教会のすぐ近くに必ず酒場があるのが面白いと思います。教会帰りに一杯やってたのでしょうか。
さて、それからマーラーの散歩道だったといわれるカーレンベルクまでバスに乗りました。バスは山道をガタガタ音を立てながら上っていきます。かなりきつい傾斜で道は舗装されていますがいろは坂のように折り曲がっています。散歩道というにはかなりきついし、遠いのです。マーラーはずいぶん体が丈夫だったんじゃないかと思いました。 山の頂上には新しいホテルと展望台、お土産屋が建っていました。もちろんマーラーの時代には頂上には何もなかったと思います。天気も良く素晴らしい眺めでした。近くにはブドウ畑、遠くにウィーンが見えます。
その後、ハイリゲンシュタットまで降りて、アルマの実家、モルの家を見に行くことにしました。渡辺裕の「マーラーと世紀末ウィーン」という本によるとそれはハイリゲンシュタット公園の一角に当たるホーエ・ヴァルテというところにある、と書かれています。地図で見ると確かにホーエ・ヴァルテという名前の道がある。結構長くて1km近くある。番地が分からないので、そこを端から端まで探せば見つかると思い、探しました。渡辺さんの本に写真が載っているので絶対見過ごさないと思ったのに、ないのです。くたくたに疲れて、仕方なくホテルに戻りました。悔しくて仕方ない。後で分かったのですが、モルの家はホーエ・ヴァルテから少し入った別の通りにあったのです。

2008年7月22日火曜日

マーラー詣で(2)

7月18日
ウィーンの友だちには私たちがどこに興味があるのか知らせてありました。
今日はそのうちの一つ、マヨリカハウスに連れて行ってくれました。

そこに行くまでにナッシュマルクトを通りました。外人のお店もいっぱいあって、見たことのない果物や野菜、スウェーデンでは珍しい魚(あじ)などを売っていました。みんなしたたかで、うっかり買い物すると、「今日はこれがおいしいよ」とか「奥さん、サラダは要らないの」などしつこく迫ってきます。うっかりしていると、大変な散財になりそうでした。 







 
ナッシュマルクト





マヨリカハウスはオットー・ヴァーグナーの設計で1898蚊ら99年に建てられました。外壁の修飾はルネサンスの影響があるといわれていますが、今でもとても新鮮で美しいと思いました。マーラーはこの頃ウィーンに移ってきました。
この後友だちと分かれて、私たちは分離派会館に行きました。勿論クリムトのベートーベン・フリースを見るためです。当時(1902年)にヨセフ・ホフマンが担当した展示はなく、クリムトの壁画だけが残っています。写真で見たことがあっても、部屋の三方の壁を占領するこの壁画はやはりその場に立ってみないと良く分からないのだということがよく分かりました。街の中はスカーフ、ネクタイ、チョコレートの箱の蓋と何から何までクリムトぜめで少々食傷気味でしたが、本物を見たらそんな物は吹っ飛んでしまいました。「完全武装の勇者」はマーラーをモデルにしたものだそうです。またマーラーはこの展示会の初日にベートーベンの第九の一部を金管楽器で演奏したそうで、分離派とマーラーの強い結びつきなどについても考えました。

お昼は日本のレストラン、 天満屋に行きました。本当に日本の味でびっくり。それもそのはず。ここは九州にある天満屋の支店だったのです。スウェーデンにはどうしてここまでできるレストランがないのか、少し悲しくなりました。街の中はすし屋がいっぱい。通りがかりに見ると、高い店も安い店もいろいろ工夫して独特なものを見せようとしていることが分かります。

街を歩いていたらこんな車に乗っている人がいました。とってもラクチンそう。これだったら1日歩き回っても(走り回っても?)疲れないかも。





夜は友だちのお宅に招かれました。街のまん真ん中にあって、屋上から街が見渡せます。おいしい食事の後、昼間、ナッシュマルクトで買った果物を試してみました。ぺちゃんこな形の桃、後は名前が覚えられなかったけど、ざくろのようなのは真ん中の白いところしか食べられません。そこは甘くておいしいのだけれど、みんな勿論皮に近い赤いところも試しました。そのしぶいこと!白いゴマせんべいみたいのは割りに淡白な味でした。いずれもイェーテボリでは見たこともありません。


楽しい1日でした。

2008年7月20日日曜日

マーラー詣で(1)

7月17日から21日までウィーンに行っていました。

日本で買ったラップトップをもっていったのですが、二日目にブログを書き終えて「投稿を公開」というボタンを押したら全て消えてしまいました。自動的に保存されているはずなのに、はじめの5行ぐらいしか残っていないのです。がっかりして、旅先の更新をひかえてしまいました。

スウェーデンに戻ってきたので、書きます。
今回はストックホルムの友達と一緒です。マーラーの住んだところを体験してみようという旅です。


7月17日
朝9時30分ウィーン着。CATという列車で町の中央(Mitte)に到着。今年からの新しいシステムなのだそうでCAT-CABというのがあり、車を出してくれてホテルまで送ってくれました。非常によいシステムだと思いました。ほかの都市もまねをすればいいのに。
ホテルはベートーベンも指揮したことがあるという劇場と同じ建物にあります。部屋はツインで注文したところ、部屋の中に階段が付いていて、2階が寝室、下は居間のようになっていました。そこのソファーをベッドにしてくれたので、個室2つのようになり、とても便利でした。


ホテルはベートーベンも指揮したことがあるヨゼフシュタット劇場と同じ建物にあって、部屋はツィンで注文したところ、部屋の中に階段がついていて、二回が寝室、下は居間の様になっていました。そこのソファーベッドもベッドとして使えるようにしてくれたので、個室が二つあるようになり、とても便利でした。1階には小さな台所もありました。



ホテルに着いてひと心地つけてたところに、ウィーンに住んでいる友達が迎えに来てくれました。いよいよマーラーゆかりの場所を訪問するツアーが始まりました。


まずホテルのすぐそばにある市役所に行きました。ちょうどフィルムフェスティバルの最中で、市庁舎の前に膨大なスクリーンが張ってあって、9時半になると毎晩映画を流すのだそうです。






ブルク劇場の前を通って、市民公園でモーツアルトの銅像に会いました。像のまえにお花でト音記号が書いてあったのが御愛嬌でした。








そのあとオペラ座に行きました。マーラーは1897年から1907年までオペラ座で指揮をしました。オペラ座の前にマーラー通りがあります。
街中でバロックの衣装を着た人がコンサートの切符を売っています。商売っ気たっぷりでした。




オペラ座のカフェーで一休み。それからシュテファン教会に入り、ゴシックの素晴らしい雰囲気にひたりました。 そうこうするうちに夕方になり、友達は雰囲気いっぱいのワインケラーに連れて行ってく れました。


ウィーンに来たのだからウィーナー・シュニッツェルを食べなくては、と食べるほうに夢中になり、写真を撮るのを忘れました。これは無残な食べ残り。シュニッツェルのほかに、シャンピニオンの揚げ物、サラダなど、ワインもおいしかった。


 

2008年7月17日木曜日

音楽ファンド

日本で面白いことを聞きました。
ミュージックセキュリティーズと言うところが開発した音楽ファンドです。
まだ無名だけどあなたがとてもいいと思っているミュージシャンやグループがあるとします。
ファンだったら何とかしてこの演奏家が育って欲しいと思いますよね。
ミュージックセキュリティーズはここに目をつけて、この演奏家に投資する人を募集するのです。
1口5千円とか1万円ぐらいで。100人が5千円出せば50万円。制作費の助けになりますよね。あとはこのCDが何枚売れるかで配当もあるのです。
今のところポップ、ロック、ジャズだけだけれど、クラシックでも可能でしょうかねえ。
里の猫が作っているCDでもできるかしら。
面白い考え方だと思いました。

明日から(あっ、もう今日になってしまいました)ウィーンに行きます。
マーラーがこだわった街です。

2008年7月14日月曜日

帰ってきました

おととい日本から戻りました。 今回は日本に正味10日間しかいなかったので、すごく忙しかったです。 さあ、これから仕事!と思っていたのですが、プリンターの調子が悪くて、はかどりません。

週末なので直してもうにもだれも来てくれない。思い切って新しいのを買ってしまいました。技師ひとりが来て、機械を眺めただけで500クローナは飛んでしまう。ちょっとさわったら、直っても直らなくても1000クローネ。同じ値段で簡単なプリンターが買えてしまうのです。

そういえばテレビで見たんだけど、スウェーデンのどこかのおじさんはカラーが無くなるごとに新しいプリンターを買うのだそうです。カラーだけ買うより、そのほうが安い。「これで3台目だけど、うちは物置が大きいからまだまだ買えます。それにしても世の中ちょっとおかしい」といってました。

2008年7月9日水曜日

東京08

やって来ました、東京に。
昨日は夕方からキング・インターナショナルのエージェントとブラス・ンサンブル、ペガサス・トウキョウの指揮者、山本さんに会いました。
8月にこのアンサンブルはハンブルクの郊外で行われるフェスティバルに招かれています。普通のブラス・アンサンブルと一色違う、柔らかい音を特徴としていて、いつかはCDに入れたいと思っていたので、これを機会にスウェーデンにも来てもらうことにしました。
                ペガサスとキングのお二人
ブルックナー(合唱曲)やマーラー(アダージェット)、日本の童謡など、全て山本氏の編曲で入れる、ユニークな企画です。
今日は鍵盤奏者の武久源造さんに会いました。来年、歌手のヘレナ・エークとのジョイント。コンサートを行うための打ち合わせでした。ヘレナのあの涼しい声をどうやって活かそうか、という相談をしました。来年、11月初めに予定しています。話が煮詰まってきたらまた書きます。

2008年7月4日金曜日

中華ヌードル・サラダ

きょうも素晴らしい天気です。
お昼は暑い時「里の猫家」が何時も食べる食べ物でした。

これって元は冷やし中華なんですけど、中華そばの代わりにスパゲッティ、焼き豚の代わりがファール・コルブというスウェーデン、ファールン地方特有のソーセージです。
他はきゅうりとトマトとシャンピニオンと薄焼き卵。たれには一応ごま油が入っています。
アジアの食品がほとんど手に入らなかった頃に作った苦肉の策です。
最近になって一度、本当に苦労して、もう少し本物的なものを作ったんですが、スヴェンは「いつものほうがおいしい」なんて言うもんだから、これが暑い時の定番になりました。称して、「中華ヌードル・サラダ」
前に東京に行った時、東京駅の簡単なレストランで本物を注文したら、「おいしい。これはなんていうもの」なんて言ってたから、二つが同じ種類の食べ物だと思ってないんですね。

明日から私だけ日本に行きます。1週間しかいないのですが。
また日本での出来事をお伝えします。

2008年7月3日木曜日

暑い!

今日はイェーテボリが全国で一番暑かったそうです。29.9度。家の温度計は28度だったけど。 スウェーデンでは25度以上の日が5日続くと気象庁が夏宣言を出します。
外に出るとお隣の子ども達とお向かいのおじさんが遊んでいました。
庭仕事用の手押し車に乗せて、二人が歌を歌っている間は押してくれます。
このおじさん、モンテネグロの人で子どもと遊ぶのが本当に上手です。


おじさんがくたびれて家に入ってしまった後も、この姉妹は「せっせっせ」をやって遊んでいました。
スウェーデンは今が一番いい季節です。

2008年7月2日水曜日

ヘレナ・エーク

今日は主人、スヴェンの音楽仲間、歌手のヘレナ・エークが練習に来ました。
8月にあるコンサートのためです。
ヘレナは柔らかい鈴のような銀色の声です。北欧的とでもいいましょうか。
MRCD-002やー015でお馴染みの方もあると思います。

彼女はフィドルも弾きます。(スヴェンはバス・レコーダー)


ハーディーガーディも使います。(スヴェンはここではシャリモー)


バッグパイプはしばらく使っていなかったので、リードの調子がおかしいぞ。
このバッグパイプはスウェーデン製。シングルリードです。クラリネットと同じ構造です。
スヴェンがリードの調節のためリードとパイプの間に挟んでいるのはうちの猫が落としたひげ。 ぬいたんじゃないよ。
うーん、新しいのが要るかなあ。

練習は無事終わり、お昼はニシンの蒲焼(イワシがないから)とホウレンソウのおひたし。ここで手に入る材料を使うので、日本では信じられないコンビネーションになることもあります。
食事の後で、来年の日本演奏旅行を目指して、レパートリーの相談をしました。
この演奏旅行については、また書きます。