2008年10月29日水曜日
IKEA
2008年10月24日金曜日
2008年10月21日火曜日
韓国
同時に韓国の日本批判のすさまじさにもショック。
この本は主に韓国の若者文化、特にJ-POP に夢中になる若者達を中心に語られています。そして本の題名「好きになってはいけない国」という発言があります。ジャニーズの歌手達が「カワイ」くて大好き。ファンクラブを作り日本にもお金をためて来て、コンサートにグッズ店にと押しかける。でも「日本は好きになってはいけない国だけど、最近だんだんすきになった。やばい」と思う中・高生。
まあ、考えてみれば、ビートルズが好きな人が全員英国が好きなわけじゃないから、かまわないのだけれど、国を挙げての「日本は追いつき、追い越す国。嫌いでなければならない」と教育されている事実をインタビューするごとに聞かされるつらさ。教育の恐さ。
いっぽう、日本人はというと、韓国を徹底的に無視。さすが、ヨン様ブームからは少し変わったかもしれないが。
読みながら、一体どうしたらいいのかなあ、絶望的な行き違い、と思った。
韓国のことをもっと知りたい。
私のように無知な人にお薦めしたいです。
2008年10月19日日曜日
車椅子
2008年10月17日金曜日
あじゃー
足の調子がやっぱりおかしいので、医者に行きました。
というと簡単なようですが、ここスウェーデンはそうはいかない。
スヴェンが運転して、先ず私たちが属している診療所に行きました。時計は午後2時半を指していました。お医者さんに会ったのが3時。これは早い。でも、ここではレントゲン撮れないから、近くの病院に行ってください。スヴェンは「ミルク買いに行くね」といって全然帰ってこない。30分待ってやっと病院へ。時計はもう4時。レントゲンはかなりすぐに撮ってくれたのに、結果報告を書くのに時間がかかる。それを持って又診療所に。なんと、足の骨は折れていました。くるぶしの近くで2センチぐらいだそうです。ギブスするから、すぐに街の南の端にある病院に行きなさい。診療所のある北の端から南の端まで。病院に着いたのが5時半ごろ。スヴェンはグループと練習のためそこで別れました。それから延々と待たされて(緊急病院が一番混んでいる)、お医者さんに会えたのが夜の8時。ギブスが 巻けたのが9時。乾くまで少なくとも1時間待ちなさい。10時に練習が終わったスヴェンが迎えに来てくれました。2時半から10時まで3箇所を行ったりきたり。こんな姿になりました。今座っているのはこのコンピュータの前です。お医者さんは右足は使うな、松葉杖をつかって、左足でピョンピョン歩け。なんて言うけど、そう簡単にはいかないのです。
先ず、足の骨を折っても痛くなかった。20年前に交通事故で首の骨を折って以来、右半身は痛み、暑さを感じなくなっているのです。でも右足のほうが左より強い。だから左足で体が支えられない。本当に踏んだり蹴ったりの結果になりました。これから4週間。今日はスヴェンに車椅子を借りに行ってもらおうかと考えています。
2008年10月15日水曜日
文藝春秋
今、世界に起きている経済の経理を私のようなものでも分かるように、やさしく書いてあります。
「日本経済はいまだかって経験したことのない深刻な危機を迎えています。「内憂外患」に加えて「身中の虫」にも取り付かれた三重苦の状態の陥っているのです」という書き出しです。
今回はこの中でも「外憂」について書いています。特に面白かった(!?)のはアメリカのニュー・リベラリズムのメカニスムを非常に明快に説いているところでした。
まず「現在の国際経済を論じる時そのキーワードは「ペーパーマネー」「証券化」「グローバル化」の三つです」と語り始めます。
「ペーパーマネー」の問題は1971年ニクソンショックによって金本位制が停止されたところから始まります。ニクソン、カーター両大統領はまだ大人しかったのですが、レーガンになってから、大胆になり、減税(当時のアメリカのGDP比で2,9%)をお金を刷ることによって実行します。こうなれば先ずインフレがひどくなるはずですが、それをレーガンは貿易の自由化によって切り抜けます。日本から自動車、香港から繊維製品、中国から玩具というように安い物を世界中から輸入して物価の上昇を抑えました。それによりアメリカの製造業は破滅的打撃を受けます。それを切り抜けるために、アメリカの工場はアジアで生産して、自社のブランドで売る。それによって利益を得るようになりました。その課程で中産階級の没落が起こりました。「要するにレーガン大統領の経済政策(レーガノミックス)は、ペーパーマネーの供給を増やすことで財政赤字と貿易赤字を賄う一方、グローバル化によって物価を安定させました。それによって生産業が衰退し、新型サービス産業や情報産業等が成長、産業構造も転回したのです」アメリカがいくらでも買ってくれるのですから、世界の国々はアメリカに近接、ソ連陣営は見捨てられました(ベルリンの壁崩壊)。日本などは工業依存の形から抜け出せなくなります。
アメリカは国債の発行、外国からの借り入れで国際収支を賄っています。金と交換する必要がないから、できるのです。それでも通貨が過剰にならないためには、通貨の借り手を増やさなければなりません。ここに現れるのが「天才的偽装=サブプライム・ローン」です。そしてこの偽装を拡大したのが証券の「グローバル化」です。このほかにも石油の問題などいろいろあるのですが、大筋としては世界経済が今日に至る過程が実によく説明されています。来月はその続きで、「地方の没落に象徴される内憂と、退廃した官僚という身中の虫」について述べるそうです。今から楽しみ(!?)です。
それにしてもこの堺屋太一という人、1998年ごろ小渕内閣で経済企画庁長官をしていたということですが、こんなに頭脳明晰で、物を簡略に説明できて、すぱっと物が言える人が内閣にいたのに、日本はどうしていつまでも低迷しているのかなあ、と不思議に思いました。
木を切る
そうすると庭が一日中日陰になってしまいます。
お向かいのおじさんが、切ったほうがいい、思い立ったのが吉日、やってしまおう。という訳で切り始めました。
最初はスヴェンと二人きりで。
見かねたお隣さんが電気のこぎりをもって助太刀に。
中心まで切ったら、ひびが入ってしまいました。ー これはむずかしいぞ。
見事。倒れた瞬間。
倒れる前に、ギリギリと悲鳴をあげているようで…
木さん、ごめんね。お神酒もあげないで。
近所が帰ってしまった後、スヴェンが枝を切り落としています。
私はその枝を運ぶ役。木の向こう側にある枝を引っ張ったとたん、大木が私たちの上に倒れてきて、私は足をはさまれ、う~ん。右足がつけなくなってしまいました。緊急病院にいってもどうせ10時間ぐらい待たされるから、様子を見ることにして、ソファーにひっくりかえって、テレビを見ていました。少しよくなったみたい。よかった、骨に異常はないようです。
お隣さんはこういう事は色々知っていて、後で教えてくれました。『本当は切りたい方向に三角形に切込みを入れる。次に反対側から切っていく。そうすれば絶対に望んだ方向に倒れる。でもこんなに風の強い日には切ってはいけないんだよ。』
私たちはこんなに傾いてしまったのだから、反対側から切れば絶対に倒れるべき方向に倒れると思っていたのですが、なにごともに薀蓄(うんちく)があるのですね。
2008年10月13日月曜日
2008年10月12日日曜日
2008年10月10日金曜日
いか
スウェーデンの西海岸にも住んでいるんですって。
番組ではプログラム・リーダーが海に潜って、イカの生態をカメラに収めようというもので、2日に渡って昼も夜も20メートルの深さを探し回るのですが、結局見つからなかった、というどうも締まらないお話でした。
それでイェーテボリの博物館の係員の話を聞いていました。
たまに漁師の網にかかる事があって、生きているのはここの水族館に来るのだそうです。 水槽の中でのそのそ歩いていました。かなり頭がいいんだそうで、ガラスのビンに冷凍のエビをいれて、ふたをして与えると、体全体でのしかかり、蓋をねじって開け、中身を食べて蓋とビンをポイッと放り出して、スイスイ泳いでいってしまいました。これはタコみたいでした。今度見に行こう。
その後イカがどんな形をしているか見せるところで、死んでしまったイカを見せていました。それが、なんとこの前買ったイカとそっくりなのです。大きさも同じぐらい。
あのイカももしかすると西海岸で取れたものだったかも!だったらもっとちょくちょくお店に出てもいいのに。2008年10月9日木曜日
Sven の今日
何をやっているのか紹介します。
下の写真はレーゲンスブルクの市立図書館にある楽譜集オリジナル最初の2ページのコピーです。
1555年にヘッセン兄弟によって出版されたダンス曲集のテナーの部です。
昔はスコアは作らなかったのだそうです。この曲集は5声部のもので、5冊のパート譜に分かれています。何部印刷されたかは分かりませんが、今のところ知られているのは、レーゲンスブルクの図書館にワンセット保存されているだけです。ところがこのセットはディスカント(ソプラノ)の部が紛失しているのです。
16世紀半ばの音楽というのはディスカント(最上部声)かテナー(第3部声)にカントス・フィルムス(メロディー)が置かれているそうです。この曲集は2部に分かれていて第一部は322曲、第2部には155曲、全部で477曲が収録されています。いわばダンス曲集の宝庫のようなものなのですが、多くがロディーが欠けていることから、演奏不可能だったのです。
今スヴェンがやっているのは、この曲集を再生させることです。
この時代の作曲/編曲法は先ず最上部か第3部にメロディーを置き、次に各部声を独立に作曲していくのだそうです。例えば一番トップにメロディーが置いてあるとすると、次はテナー、それからバス、アルトをそれぞれ作っていって、最後にヴァガンスと呼ばれるものを足します。ヴァガンスはどの部声と決まっているのでなく、最後の締めくくりに当たるので、高かったり低かったり、あちこちに現れるのだそうです。
このような構造になっているので、現在紛失している声部を再生するのは言ってみれば探偵が現場に残された証拠を集めて犯人を推察するような仕事になります。何年も前にはじめたことで、今、400曲近くを作り上げたらしいです。
完成を見た曲はその週のコンヴィヴィウムの練習で試され、仲間の意見を聞きながら、直したりします。私も時々、「これはなんのダンスだと思う?」などと聞かれたりしています。
恐ろしく根気の要る仕事をしているのだけど、本人は楽しくてしかたがないみたいです。
2008年10月6日月曜日
昼ごはん
仕事をしていた頃は私はほとんど外で食べる。スヴェンはというと、冷凍食品をチーンして、食べていました。一人分というのが、彼にとってはちょっと少な目なんですが、あんまりおいしくないから、それ以上食べないで我慢してしまう。で、減量できたのだそうです。
今後はお弁当形式にして、一人分箱に詰めて、後は片付けてしまうしかないでしょうかねえ。