2008年10月29日水曜日

IKEA


テレビでIKEAの創始者、イングヴァー・カンプラードのインタビューを見ました。82歳。かくしゃくたるものです。今でも毎朝6時半から事務所に出てくるそうです。そして夕方6時半まで仕事をしているといっています。
息子が3人、全員IKEAで働いているけれど、跡取りはまだ決めていないそうです。全体を理解して取り仕切るまでにいっていないから。今でも発言権は強く、ついこの間も洋服ダンスのガラスの戸をキャンセルした。個人が取り扱うのには重すぎるという理由で。
IKは1926年生まれ。5~6歳ですでにマッチ、クリスマスカード、種、クリスマスの飾り、万年筆などを売っていた。お父さんが取る魚を半額で分けてもらい、売ったこともある。IKEAは1943年に会社を作ったが、家具の販売は47年から始める。IKEAという名前は自分の名前と出生地のイニシャルをつなげたもの(Ingvar Kamprad, Elmaryd, Agunnaryd) 。始めは他の家具の会社から散々いじめられたそうです。ストックホルムの見本市に入場禁止され、絨毯に包まれて、知っている人にこっそり運び込んでもらったりしました。
そういう理由で先ずデンマークに進出。その後、ポーランドなどの東欧で生産、安い家具で名を馳せる。今では、世界中に150の販売店を持つ。
若いときに右翼の党に入会していたことが、1990年代に発覚。そのことを聞かれて、「ユダヤ人の従業員に手紙を書いて謝った」と言って涙声になる。インタヴューアーが急いで次の質問をしようとすると、さえぎって、「400人のうち398人があなたを支持すると言ってくれたんですよ」と泣き声になった理由を述べていました。ちょっと以外でした。 
また、アルコーリストと言われていた事について。ポーランドで仕事をしていた時、食事ごとに、コップで乾杯して一気に強い酒を飲む。そして空のコップを頭の上に載せなければならない。その後またすぐに、スウェーデンのためにとか、友好のためにとか、IKEAのためにとかいって飲む。始めはおいしいとも思わなかったけど、1-2年たつとおいしいと思うようになって…そこで、医者に相談したら、1年に2回3週間ぐらい禁酒しろ、と言われた。もう40年ぐらいやっているけど、今では年に3回、6週間ぐらいやっている。今年は6月4日から全然飲んでいない。
今後も新しいイングヴァー・カンプラードが生れると思うか、という質問に、もちろん出てくるだろう。でも私の時代は父を手伝って、ジャガイモを掘ったり、木を切ったりしていたので、何をやっても失うものはなかった。今はみんな大きなうちに住み、高いボートを買ったりで、失うものを持っているから、恐ろしくて大きなことが出来なくなっているかもしれない。同時に、いろいろな可能性も昔よりずっと多いから、これからも事業者は出てくるだろうと結んでいました。
とにかくいろいろ言われている人で、個性があって面白かったです。

2008年10月24日金曜日

近況再び

今日、再び病院に行きました。レントゲンを取り直し、結果はOK(骨がずれたりしていなかった)なので、仮のギブスをはずして、本格的なのに取り替えました。
今は技術が進んでいて、とても簡単に出来上がりました。驚いたことにはギブスの色が選べることです。選択は緑、黄色、紫、白、黒の5色。どうせならとんでもない色がいいなあ、と思い、紫にしました。5週間、自由に動けません。4週間目からは足をついて歩いていいそうです。11月28日にギブスをとります。ああ、待ちどおしい。

2008年10月21日火曜日

韓国

菅野朋子という人の「好きになってはいけない国・韓国発!日本へのまなざし(文藝春秋文庫、2005年版)」を読みました。韓国のことはあまり知らないな、とは思っていたのですが、自分のあまりの無知さにショックを受けました。
同時に韓国の日本批判のすさまじさにもショック。
この本は主に韓国の若者文化、特にJ-POP に夢中になる若者達を中心に語られています。そして本の題名「好きになってはいけない国」という発言があります。ジャニーズの歌手達が「カワイ」くて大好き。ファンクラブを作り日本にもお金をためて来て、コンサートにグッズ店にと押しかける。でも「日本は好きになってはいけない国だけど、最近だんだんすきになった。やばい」と思う中・高生。
まあ、考えてみれば、ビートルズが好きな人が全員英国が好きなわけじゃないから、かまわないのだけれど、国を挙げての「日本は追いつき、追い越す国。嫌いでなければならない」と教育されている事実をインタビューするごとに聞かされるつらさ。教育の恐さ。
いっぽう、日本人はというと、韓国を徹底的に無視。さすが、ヨン様ブームからは少し変わったかもしれないが。
読みながら、一体どうしたらいいのかなあ、絶望的な行き違い、と思った。
韓国のことをもっと知りたい。
私のように無知な人にお薦めしたいです。

2008年10月19日日曜日

車椅子

金曜日にスヴェンが車椅子を借りてきました。
朝、病院に電話したら、そこでは貸し出ししていないそうで、街中に「ハンディキャップ・センター」というのがあるから、そこに連絡しなさい、ということでした。早速連絡してみると、ただで借りるためには、本当に必要かどうか調査して、その結果を待たなければならないそうです。そうでなければ、1ヶ月414クローナで借りられるそうです。動きが取れなくて参っていたので、すぐ借りてくることにしました。実に調子のよいイスで、音もなくスーッと動きます。これで家の中だけは勝手に動き回れることになりました。猫のグルッセは懐疑的。金曜日は1日どこかに隠れていたみたい。外でなければいいんだけど。彼は最近少し風邪気味です。

2008年10月17日金曜日

あじゃー

二日前の続き。
足の調子がやっぱりおかしいので、医者に行きました。
というと簡単なようですが、ここスウェーデンはそうはいかない。

スヴェンが運転して、先ず私たちが属している診療所に行きました。時計は午後2時半を指していました。お医者さんに会ったのが3時。これは早い。でも、ここではレントゲン撮れないから、近くの病院に行ってください。スヴェンは「ミルク買いに行くね」といって全然帰ってこない。30分待ってやっと病院へ。時計はもう4時。レントゲンはかなりすぐに撮ってくれたのに、結果報告を書くのに時間がかかる。それを持って又診療所に。なんと、足の骨は折れていました。くるぶしの近くで2センチぐらいだそうです。ギブスするから、すぐに街の南の端にある病院に行きなさい。診療所のある北の端から南の端まで。病院に着いたのが5時半ごろ。スヴェンはグループと練習のためそこで別れました。それから延々と待たされて(緊急病院が一番混んでいる)、お医者さんに会えたのが夜の8時。ギブスが 巻けたのが9時。乾くまで少なくとも1時間待ちなさい。10時に練習が終わったスヴェンが迎えに来てくれました。2時半から10時まで3箇所を行ったりきたり。こんな姿になりました。今座っているのはこのコンピュータの前です。お医者さんは右足は使うな、松葉杖をつかって、左足でピョンピョン歩け。なんて言うけど、そう簡単にはいかないのです。

先ず、足の骨を折っても痛くなかった。20年前に交通事故で首の骨を折って以来、右半身は痛み、暑さを感じなくなっているのです。でも右足のほうが左より強い。だから左足で体が支えられない。本当に踏んだり蹴ったりの結果になりました。これから4週間。今日はスヴェンに車椅子を借りに行ってもらおうかと考えています。

2008年10月15日水曜日

文藝春秋

文藝春秋9月号の記事に堺屋太一(元経済企画庁長官)が「日本経済、凋落の十年・恐慌的スタグフレーションが来る」というかなり衝撃的な記事を書きました(今全世界に起こっていることを考えると、あまり衝撃てきではないかもしれませんが)。

今、世界に起きている経済の経理を私のようなものでも分かるように、やさしく書いてあります。
「日本経済はいまだかって経験したことのない深刻な危機を迎えています。「内憂外患」に加えて「身中の虫」にも取り付かれた三重苦の状態の陥っているのです」という書き出しです。

今回はこの中でも「外憂」について書いています。特に面白かった(!?)のはアメリカのニュー・リベラリズムのメカニスムを非常に明快に説いているところでした。

まず「現在の国際経済を論じる時そのキーワードは「ペーパーマネー」「証券化」「グローバル化」の三つです」と語り始めます。
「ペーパーマネー」の問題は1971年ニクソンショックによって金本位制が停止されたところから始まります。ニクソン、カーター両大統領はまだ大人しかったのですが、レーガンになってから、大胆になり、減税(当時のアメリカのGDP比で2,9%)をお金を刷ることによって実行します。こうなれば先ずインフレがひどくなるはずですが、それをレーガンは貿易の自由化によって切り抜けます。日本から自動車、香港から繊維製品、中国から玩具というように安い物を世界中から輸入して物価の上昇を抑えました。それによりアメリカの製造業は破滅的打撃を受けます。それを切り抜けるために、アメリカの工場はアジアで生産して、自社のブランドで売る。それによって利益を得るようになりました。その課程で中産階級の没落が起こりました。「要するにレーガン大統領の経済政策(レーガノミックス)は、ペーパーマネーの供給を増やすことで財政赤字と貿易赤字を賄う一方、グローバル化によって物価を安定させました。それによって生産業が衰退し、新型サービス産業や情報産業等が成長、産業構造も転回したのです」アメリカがいくらでも買ってくれるのですから、世界の国々はアメリカに近接、ソ連陣営は見捨てられました(ベルリンの壁崩壊)。日本などは工業依存の形から抜け出せなくなります。
アメリカは国債の発行、外国からの借り入れで国際収支を賄っています。金と交換する必要がないから、できるのです。それでも通貨が過剰にならないためには、通貨の借り手を増やさなければなりません。ここに現れるのが「天才的偽装=サブプライム・ローン」です。そしてこの偽装を拡大したのが証券の「グローバル化」です。このほかにも石油の問題などいろいろあるのですが、大筋としては世界経済が今日に至る過程が実によく説明されています。来月はその続きで、「地方の没落に象徴される内憂と、退廃した官僚という身中の虫」について述べるそうです。今から楽しみ(!?)です。
それにしてもこの堺屋太一という人、1998年ごろ小渕内閣で経済企画庁長官をしていたということですが、こんなに頭脳明晰で、物を簡略に説明できて、すぱっと物が言える人が内閣にいたのに、日本はどうしていつまでも低迷しているのかなあ、と不思議に思いました。

木を切る

庭の端に生えている見事な楡の木。石の上に生えているためか、最近少しずつ傾いてきました。
そうすると庭が一日中日陰になってしまいます。
お向かいのおじさんが、切ったほうがいい、思い立ったのが吉日、やってしまおう。という訳で切り始めました。

最初はスヴェンと二人きりで。

見かねたお隣さんが電気のこぎりをもって助太刀に。
中心まで切ったら、ひびが入ってしまいました。ー これはむずかしいぞ。


見事。倒れた瞬間。

倒れる前に、ギリギリと悲鳴をあげているようで…

木さん、ごめんね。お神酒もあげないで。
近所が帰ってしまった後、スヴェンが枝を切り落としています。

私はその枝を運ぶ役。木の向こう側にある枝を引っ張ったとたん、大木が私たちの上に倒れてきて、私は足をはさまれ、う~ん。右足がつけなくなってしまいました。緊急病院にいってもどうせ10時間ぐらい待たされるから、様子を見ることにして、ソファーにひっくりかえって、テレビを見ていました。少しよくなったみたい。よかった、骨に異常はないようです。

お隣さんはこういう事は色々知っていて、後で教えてくれました。『本当は切りたい方向に三角形に切込みを入れる。次に反対側から切っていく。そうすれば絶対に望んだ方向に倒れる。でもこんなに風の強い日には切ってはいけないんだよ。』

私たちはこんなに傾いてしまったのだから、反対側から切れば絶対に倒れるべき方向に倒れると思っていたのですが、なにごともに薀蓄(うんちく)があるのですね。

2008年10月13日月曜日

Tシャツ

昨日買ったTシャツです。 ワンちゃんのちょっと意地悪そうな目つきが気に入りました。
背中にも続いています。

2008年10月12日日曜日

展示会

昨日は友だちの絵やテキスタイルの展示会に行きました。
ご夫婦での企画です。ご主人は絵やイラストを描きます。奥さんがテキスタイル・アーティスト。
ご主人の絵の中から選んでバッグやTシャツにプリントしてありました。
ご主人の絵。子どもの遊びの特集のようです。子どもの頃を思い出して懐かしくなりました。
こちらは奥さんの作品。Tシャツを買いました。






アーティストご夫妻。
生演奏もあってなかなかにぎやかでした。

2008年10月10日金曜日

いか

今日テレビで自然紹介の番組を見ていたら、イカ、タコの話でした。
スウェーデンの西海岸にも住んでいるんですって。
番組ではプログラム・リーダーが海に潜って、イカの生態をカメラに収めようというもので、2日に渡って昼も夜も20メートルの深さを探し回るのですが、結局見つからなかった、というどうも締まらないお話でした。

それでイェーテボリの博物館の係員の話を聞いていました。
たまに漁師の網にかかる事があって、生きているのはここの水族館に来るのだそうです。 水槽の中でのそのそ歩いていました。かなり頭がいいんだそうで、ガラスのビンに冷凍のエビをいれて、ふたをして与えると、体全体でのしかかり、蓋をねじって開け、中身を食べて蓋とビンをポイッと放り出して、スイスイ泳いでいってしまいました。これはタコみたいでした。今度見に行こう。

その後イカがどんな形をしているか見せるところで、死んでしまったイカを見せていました。それが、なんとこの前買ったイカとそっくりなのです。大きさも同じぐらい。

あのイカももしかすると西海岸で取れたものだったかも!だったらもっとちょくちょくお店に出てもいいのに。

2008年10月9日木曜日

Sven の今日

スヴェンがこのところ夜中じゅうコンピュータの前に座って楽譜を書いています。
何をやっているのか紹介します。
下の写真はレーゲンスブルクの市立図書館にある楽譜集オリジナル最初の2ページのコピーです。
1555年にヘッセン兄弟によって出版されたダンス曲集のテナーの部です。

昔はスコアは作らなかったのだそうです。この曲集は5声部のもので、5冊のパート譜に分かれています。何部印刷されたかは分かりませんが、今のところ知られているのは、レーゲンスブルクの図書館にワンセット保存されているだけです。ところがこのセットはディスカント(ソプラノ)の部が紛失しているのです。
16世紀半ばの音楽というのはディスカント(最上部声)かテナー(第3部声)にカントス・フィルムス(メロディー)が置かれているそうです。この曲集は2部に分かれていて第一部は322曲、第2部には155曲、全部で477曲が収録されています。いわばダンス曲集の宝庫のようなものなのですが、多くがロディーが欠けていることから、演奏不可能だったのです。
今スヴェンがやっているのは、この曲集を再生させることです。
この時代の作曲/編曲法は先ず最上部か第3部にメロディーを置き、次に各部声を独立に作曲していくのだそうです。例えば一番トップにメロディーが置いてあるとすると、次はテナー、それからバス、アルトをそれぞれ作っていって、最後にヴァガンスと呼ばれるものを足します。ヴァガンスはどの部声と決まっているのでなく、最後の締めくくりに当たるので、高かったり低かったり、あちこちに現れるのだそうです。
このような構造になっているので、現在紛失している声部を再生するのは言ってみれば探偵が現場に残された証拠を集めて犯人を推察するような仕事になります。何年も前にはじめたことで、今、400曲近くを作り上げたらしいです。
完成を見た曲はその週のコンヴィヴィウムの練習で試され、仲間の意見を聞きながら、直したりします。私も時々、「これはなんのダンスだと思う?」などと聞かれたりしています。
恐ろしく根気の要る仕事をしているのだけど、本人は楽しくてしかたがないみたいです。

2008年10月6日月曜日

昼ごはん

最近、昼ごはん(ここでは昼ごはんが一番大きい食事です)を作る様になりました。仕事から解放されたので、毎日なんやかんや作っていたら、スヴェンがまた太った!かれはもうメタボなんてもんじゃない。これはまずい。
仕事をしていた頃は私はほとんど外で食べる。スヴェンはというと、冷凍食品をチーンして、食べていました。一人分というのが、彼にとってはちょっと少な目なんですが、あんまりおいしくないから、それ以上食べないで我慢してしまう。で、減量できたのだそうです。
今後はお弁当形式にして、一人分箱に詰めて、後は片付けてしまうしかないでしょうかねえ。