2008年11月30日日曜日

Shakishaki-potatis

SATOKO: Igår lovade jag att skriva receptet på "Makrill i miso", men plötsligt dök en vän upp som inte äter någon konstig japansk mat. På hans begäran hämtade vi pizzor från grannskapet (x_x).

Således visar jag här ett lite ovanligt potatis-recept "Shakishaki-potatis" från en japansk kokbok. Egentligen otroligt enkelt:

Skala potatis och riv den grovt. Lägg den i kallt vatten. Stek den avrunna potatisen i stekpannan tills den börjar bli genomskinlig. Salta.
Här strödde vi på "shichimi" (=cayenne-liknande krydda från Japan).

Nu om namnet shakishaki:
Japanskan är rik på onomatopoetiska dvs ljudhärmande ord (t.ex. ticktack, zzz). Shaki-shaki är en beskrivning av ett tillstånd där saker är färska och knapriga. Här betyder det att potatisen fortfarande behåller tuggmotståndet och låter "shaki-shaki" mellan tänderna.

おじゃがのシャキシャキ

日本のお料理の本に出ていた簡単料理。でもジャガイモのこんな作り方は私には初めてです。
「ジャガイモを千切りにする」と書いてあるけど、面倒くさがりの私は荒めにおろしてしまいました。それを冷たい水に放します。ザルにあけ、ちょっといためて塩をふるだけ。ジャガイモが透き通ってきたらできあがりです。シャキシャキぐらいがちょうどいい。おろしたジャガイモだと直ぐ柔らかくなってしまうから、やっぱり千切りのほうが上手くいくかも。
できあがりに七味唐辛子を振ります。
好みではコショウで味付けもいいかも。
なんにでも合います。

2008年11月28日金曜日

Bergers Begynnelse-Blogg

今日から時々スウェーデン語も入れます。よろしく。

Här börjar vi öva att bloggar skriva,
Vi undrar själva vad det månde bliva...

Ja, det kan handla om mat, musik, vår katt och livet på vår gatstump.
Som jag (Satoko) redan skrivit på japanska, bröt jag benet i oktober. Idag är jag glad, för jag har äntligen befriats från gipsen. Jag gladde mig åt att kunna gå och köpa fisk på egen hand (eg. fot) - makrill och sill. I morgon vankas det "makrill i miso", en av våra favorit rätter. Vattnas det i munnen på någon? Läs receptet på morgondagens blogg!

うれしい!

ギブスがとれました。うれしい。
とれた後、お医者さんが診察。それからフィジオテラピストのところに送られました。
そこで足の運動を教えてもらい、来週から近くの診療所で筋肉を強化する訓練を受けなさい、と言われました。

病院からの帰りにお店に寄りました。いつもの魚屋さんの前でクリスマスツリーを立てていました。
久しぶりだったので、なんか新しいような感じがしました。この魚屋はイェテボリで一番新鮮、という噂があります。サバとニシンを買いました。あしたはサバの煮付けです。

2008年11月24日月曜日

雪です

ふと外を見ると、雪がひらひら(この写真ではあんまり良く見えないけど)。
温度計はマイナス2.4度。こことしてはあまり寒くない。
昨日は東海岸のほうは吹雪だったようです。今朝のニュースでストックホルムの空港は3本ある滑走路が1本しか使えなくなり、キャンセル続出。空港の床で一晩過ごした人がいた、と報道していました。
私の足を襲撃した木の幹もお隣のおじさんのおかげで、すっかりきちんと整理されています。
猫はコタツがなくても丸くなる。いよいよ冬です。

2008年11月22日土曜日

ミートボール

買い物に行けないし、スヴェンに頼むのもめんどうだし、と思っているうちに、とうとう冷蔵庫、冷凍庫が底をついてきました。冷凍庫をかき回してみると、半分使ったミートボールの袋が出てきました。スウェーデンのおかずナンバー・ワンのミートボールです。
これで何ができるかなあ。野菜は白菜、長ネギ、にんじんだけ。えい、全部混ぜちゃえ。
出来上がったのがこれです。野菜を適当に切って、フライパンでいためます。ミートボールを入れて味付けは、ごま油、しょうゆ、砂糖、塩、お酢。生姜があればもっとよかったかなあ。ま、しょうがないや(あ、語呂合わせになってる!)。最後に片栗粉を水でといて、とろみを付け、ご飯の上にかけました。切羽詰って作ったにしてはおいしかったです。
明日は何か買ってきてもらわなければ。

2008年11月21日金曜日

猫のグルッセ(2)

グルッセに予防注射を打ってもらわなければなりません。毎年1回のこの行事は実行するのがなかなか大変です。グルッセは大の獣医さん嫌い。何としてでも行かないですむように考えているらしい。大分前から「もう、秋だねえ。そろそろグルッセを…」なんて会話をしていたのですが、水曜日の2時に獣医さんの時間がもらえました。前に住んでいた所のお医者さんで、ちょっと遠いのですが、とてもよくしてくれるので、1年に1回通っています。
朝起きると、グルッセはまだ居間のソファーの上でぐっすり眠っています。地下の洗濯場の窓が猫穴になっていて、いつでも出入り自由です。朝ごはんが終わってからスヴェンが洗濯場のドアを閉めました。「地下に行く階段のところのドアを閉めたほうがいいよ」と私。地下室は隠れるところがいっぱいあるからです。「大丈夫。地下に行ってトランペットを吹けば慌てて逃げ出すから」「そうね」と安心していました。さて、出かける少し前にスヴェンはサキソフォンを持って地下室に。ところが吹いても出てこないのです。スヴェンも負けないで、「掃除機をかければ絶対に大丈夫」地下室全部を掃除してもやっぱり出てこない。魔法にかけられたみたいでした。2時はどんどん近づくけれど、結局見つけられないで、その日は諦めました。診療所が閉る5時過ぎにひそっと出てきた。やっぱり知っているんだ。
今日はその手はくわないぞと、昨日の夜外から帰ってきたのを確認して、階段のドアを閉めてしまいました。グルッセは「しまった」と思ったのでしょう。そわそわとそこら中走り回っていました。今朝起きていくと、黒い影が寝室に入っていくのが見えた。ところがいよいよとなると、ベッドの下にいないのです!?枕元に置いてある小さな戸棚の下で小さくなっていました。その周りは空気が固まったみたいにひっそりしていました。なるほど、これが魔法なんだな、と思いました。
兎に角大騒ぎで注射を打ってもらいました。よほど疲れたのでしょう。それとももうあと1年は恐くないと知っているのでしょうか。今夜は私のひざの上でぐったりと寝ていました。

2008年11月18日火曜日

簡単パン


スヴェンが自分の好きなパンしか買ってこないので、私はあんまり感激していない。それで今朝は「簡単パン」を作りました。イギリスのスコーンの亜流みたいのです。

材料(8~12個分) 小麦粉4dl、グラハム粉1dl、塩小さじ1/2、ベーキングパウダー大匙2、シロップ(または蜂蜜)大匙2杯、ナチュラル・ヨーグルト(こちらにはフィールという、もっと柔らかい味のがあります)3dl、卵1個

材料を全部混ぜて、8から12個に丸めて、卵をかき混ぜ、刷毛で上をぬります。200度cのオーブンで10から15分焼く。出来上がったら網に載せて、布巾を被せてさまします。すごく簡単です。
今日はこの材料以外に麻の実と人参のすり下ろしたのを入れました。いつもより少ししとしとになったみたいです。
チーズと食べました。ママレードもおいしいかも。

2008年11月17日月曜日

少し楽になった。

金曜日からギブスの足も使っていいことになりました。
最初は少しこわごわ、今日は補助器もツエも使わないで歩いています。
すごく楽になりました。
早速、写真家のお店に連れて行ってもらいました(車の運転は未だなので、スヴェンがアッシー君やってくれています)。新しいCDのアーティストの写真を撮ってもらってあったので、130枚の中から24枚選びました。23人の日本人のグループです。ライナーノートに使います。まだまだやらなければならないことがいっぱい。一歩ずつ完成に近づいています。

2008年11月15日土曜日

猫のグルッセ(1)

家族の一員、猫のグルッセを紹介します。1995年生まれ。雑種。オス。
家には既に黒い雌猫、カッチンゲンがいました。当時は私もスヴェンも働いていたので、カッチンゲンは一日中ひとり(一匹?)で留守番。さびしいだろう、仲間を作ってあげようと思って、もらってきたのがグルッセです。
猫を飼うのなら、捨て猫を世話してる猫おばさんのところからにしたら、と前から薦められていたのですが、行ってびっくり。120匹以上の猫を飼っているおばさんでした。大きな庭のある一軒家ですが、見渡す限りどこを見てもネコ、ネコ、ネコ。その上に猫のホテルもやっていて、短期間預かってくれるのです。どの猫も優しい、ゆったりとした顔をしていたので、安心しました。
グルッセはその時2ヶ月ぐらいで、「今あげるのだったら、この仔しかいない」と言われて、本当は黒い猫はもういるのだから、他の色がいいなあ、と一瞬思ったのですが、なんか、色で差別するのはいけないみたいに思って…
グルッセは迷子になったのか、捨てられたのか、ある日近くにある大きな砂利山の上で泣いていたのをポリスが見つけて連れてきたのだそうです(この辺の捨て猫は皆このおばさんのところに連れてこられるのだそうです)。左前足のひじにひどい裂き傷があって皮がかぎ方にめくれていました。熱があるらしく頼りなーい感じで、スヴェンのひざの上で丸くなって寝てしまいました。
名前は砂山(grustak=グルースターク) で見つかったのでグルーシス。スヴェンがもうちょっと可愛らしい軽い名前がいいなあ、といって、グルッセに改名しました。
スウェーデンの習慣で1クローナ払い、必ず虚勢手術をすることを約束。家に連れて帰りました。ガレージから家の入り口まで首に紐をつけて、スヴェンに連れられて行くのを、後ろからついていったのですが、ケチョケチョに痩せていて、まるでモールで作った猫みたい。風が吹いたら飛んでしまいそうな姿でした。
さて、家に入ってカッチンゲンにお目見えしたところ、カッチンゲンの怒ったのなんの。絶対に許さないのです。どうしようと、猫おばさんに電話しました。一匹は部屋に入れておいて、もう一匹を可愛がる。後で逆にする。ごはんは一緒に食べるさせるように。など教えてもらいました。
スヴェンは次の日から友だちを訪ねてブラジルに行ってしまい、私は一人でてんてこ舞いしたのを覚えています。
ひじの傷は近くの犬猫病院で縫い直してもらい、ペニシリンを打ったらすぐ元気になりました。
一度、グルッセを部屋に閉じ込めて半日ぐらい忘れてしまいました。あわてて部屋を開けると、グルッセが困った顔で見上げているのです。見ると、ウンチがしたかったのでしょう。トイレが見つからないものだから、紙くずかごをひっくり返して、中身をかき出し、その上にしてありました。「ごめん、ごめん。でもお前は本当にいい猫だねえ」と抱き上げました。
つづく。

2008年11月14日金曜日

ちょっと進歩

今日からギブスの足を使ってもいいことになっています。
足が大分痩せた(これはうれしい!)ので、ちょっとこわごわ歩いてみました。
やっぱり杖がないと未だ不安定です。でも、両足で立てるのは楽ですねえ。

2008年11月12日水曜日

東京裁判

11月11日は第一次世界大戦が終わって90年目だそうです。そして60年前のちょうどこの季節に東京裁判で戦犯の判決が下ったそうです。間30年。第二次世界大戦が始まってからも二十数年なのですから、人間は歴史から何も学ばない動物なのかな、と思ってしまいます。 東京裁判
文藝春秋10月号はこれを記念して(?)「新・東京裁判 -60年目の総決算、国家を破滅に導いたのは誰だ - 決断しないリーダー、暴走する組織」という座談会を載せていました。


東京裁判に当たっては、戦争前後も入れた莫大な資料が集められたそうで、それだけでも歴史的価値があるようです。そして、これ等の資料は2006年以来、少しずつ公開されているそうです。


私は昭和史にあまり興味がなかった(学校では全く教わらなかった)のですが、9月11日NYのテロ以来、ちゃんと知らなければだめだ、と思い始めました。


というのは、当時の最大野党、穏健党の党首(今の外相)カール・ビルトがあのテロを真珠湾攻撃と比較したからです(この人は時々おかしなことを言う。最近もグルジアを攻撃したロシアをナチスと比較して、えっと思わされた)。真珠湾には本当に頭にきた。抗議の手紙を書こうかと、本気になって思ったほどです。でも、冷静になってみると、実は私は何も知らないのです。したがって抗議もできなかった、悔しい思い出があります。


それでこの座談会は大変面白かったです。戦争は果たして避けられたのか。勃発する前にどんなチャンスがあったか。陸軍は、海軍は、政府は、メディアは、国民は、天皇自身はなにをしたのか。世界情勢はどうなっていたのか、など。私にとっては、恥ずかしながら、なるほどと思うことがいっぱいでした。


読後感としては、私は戦争は避けられなかったんじゃないかと思いました。当時(今も?)日本は外交があまりにも下手だからです。新しくできたばかりの国家、国際関係での駆け引きの経験にかけている、欧米的論争に慣れていない(何しろ相手は海千山千のチャーチル、ルーズベルト、スターリンなんですから)、国際情勢をあまりにも甘くみている、など、何を取っても経験がなくて、突っ走ってしまう。これでは、無理だったんじゃないかと思いました。


でも、残念ながら、これは今の日本にも当てはまりますね。国内でギャーギャー反対するばかりではどうにもならない事が多いんじゃないでしょうか。例えば憲法9条の問題を知っている外国人がどのくらいいるでしょうか。言うべき時ははっきりと言う。それも外国人に分かる言葉で、冷静に。うーん。やはり今の日本人にも難しいですね。

カウンター

今日からこのブログにもカウンターが付きました。
今13人です。

2008年11月9日日曜日

ヤン・ヨハンソン

2時ごろから急にお天気が悪くなったと思っていたら、時々ワーッと雨が降ったり、風が吹いたりです。黒い雲が張り出してきたと思ったら、2時半なのに薄暗くなりました。いよいよ憂鬱な季節の始まりです。

今日は街でヤン・ヨハンソンの展示会があって、スヴェンは招かれていました。私は一緒に行かれないので、若い学生を連れて行ったらしいです。
ヤン・ヨハンソンは素晴らしいジャズ・ピアニストでした。40年前の今日、37歳でなくなりました。凍った道でスリップ、トラックと正面衝突したのです。未だに惜しまれているミュージシャンです。私も70年代に初めて彼のピアノを聞いて魅せられてしまったファンの一人です。鋭く、同時に柔らかくピアノの上を走る指は黒豹のようだと思いました。スヴェンによると、穏やかでシャイなところのある人だったそうです

ましてや当時、私も付き合い始めたばかりのスヴェンが数年前に最後のレコーディングを一緒にしていて、この時の録音を使ってのオマージ(ピアニストを偲ぶ)レコードではスヴェンもいろんな古楽器で参加していたのですから、思い入れはつのります。

これはそのヨハンソン最後のレコードです。昔から伝わっているスウェーデンのメロディーを軽いジャズ風にしたてたもので、そのアレンジの仕方はヤン・ヨハンソンの面目躍如としています。

スヴェンは当時、ストックホルムの音楽博物館に勤務していました。そこに時々現れて、いろんな楽器に興味を持っていて、質問されたりして知り合ったそうです。そして博物館が持っていた数々の楽器(コルネット、サーペント、クルムホルン、ドゥルチアンなど)でふざけて合奏し合ったのが、しばらくして彼に呼ばれて録音に参加するようになった経緯でだそうです。スヴェンは今まで数え切れないくらいいろいろな録音に参加してきましたが、この時の自由さ、楽しさは忘れられないそうです。

もし彼が今日まで生きていたら77歳。多分スウェーデンの音楽界に重要な影響を与えていただろうと思います。本当に惜しい人です。

2008年11月8日土曜日

ベジタリアンのブログ


退屈に任せてインターネットの中を散歩しました。
ベジタリアンのブログで「野菜のご飯」というのを見つけました。
今日の分が「鮭よりおいしい人参グリル」というので、人参まるごとに味噌を塗ってオリーブオイルをたらし、オーブンで焼くというのでした。作ってみたら、結構いけました。見た目はこのHPのようにきれいになりませんでしたが。
材料の思いもかけぬ組み合わせ方が面白いです。
レタスとのりをお醤油とごま油であえた「びりびりレタス」とか残った味噌汁をお麩に沁みこませて、小麦粉を混ぜて焼いた「味噌パン」とか、名前も傑作です。スウェーデンでも作れそうなものが沢山ありました。推薦します!

2008年11月4日火曜日

退屈!

足以外はいたって健康なので、お腹もすくし、どっか出かけたくもなりますが、不便です。
退屈だから、今日は久しぶりに肉じゃがに挑戦しようと思いました。補助器がないと一歩も動けないので、思わぬところで手がかかる。
先ず材料を全部(と思ったのだが)キッチンの机の上に乗せ、ジャガイモ、人参(家はニンジンを入れるのです)の皮をむいて、たまねぎを切って。野菜の皮を捨てるのに、あ、3歩歩かなきゃ。肉を冷蔵庫から出して、あ、また3歩。全部いためる。鉄鍋を出さなきゃ。重いなあ。これどうやってレンジのところまで持ってくの。いためるのに菜ばしがいる。また一歩。
でも作りましたよ。おいしかったけど、ああ、しんど。

2008年11月1日土曜日

シルヴィア女王

ラジオの第一放送では毎週土曜日、午後1時~1時半まで30分に渡って時の人をインタヴューします。今日のゲストはシルヴィア女王でした。女王は子どもの権利侵害問題、特にポルノ、ペドフィール、トラフィキング、難民の子どもの権利などに興味を持っています。時にはかなり突っ込んでの質問に、これもかなりはっきりと答えています。
日本では絶対に考えられない。以下、内容を要約します。(I=インタヴュアー、S=シルヴィア)


I:今日のインタヴュ-のテーマは「世界のそしてスウェーデンの危険にさらされた子ども達」ということなのですが、いつごろからこの仕事をこれ程熱心にされているのですか。

S:1976年の結婚祝いの基金ができてからです。始めは障害児のためのものでした。障害を受けた子ども達が同じような立場の子どもに会うことによって、友達が出来る、将来の希望が持てればという趣旨でした。スポーツを通して、他の仲間がどのように難しい立場を克服してきたかをみて、元気付けられたらということでした。パラリンピックも大切です。基金は今、多くの研究者を助けるようになっています。また本の出版もしました。
このような子ども達は障害児になったことで、友達も失ったりしています。でも、スポーツを通して、仲間が出来、再びアクティブな生活が出来るようになるのは大切なことです。

I:危険な状態にある子ども達のためにスウェーデンがするべきこでは何が一番大切だと思われますか。

S:何が一番大切というのは難しいですが、今日インターネットが果たしている役割はとても大切だと思います。15年ぐらい前、私はインターネットは暗黒の穴だと言いましたけれど、これ程の発展をするとは思わなかったし、いろいろな助けになっています。でもまたインターネットが邪悪な機関でもあることはたしかです。

I:どういう意味ですか。

S:速さと扱いの簡単さです。昔はビデオを撮っても自分で簡単には扱えなかったけれど、今はインターネットに載せて、あっという間に世界中に送ることも出来ます。それによって子どものポルノも簡単に公開できます。

I:今、そのような写真を見ることを禁止する法律の是非が取り沙汰されていますが、どのようにお考えですか。

S:スウェーデンではまだですが、ノルウェーとデンマークでは既に法律になっています。私はスウェーデンも見習うべきだと思います。

I:個人の権利侵害という考えがありますが。

S:子どもの権利のほうが尊敬されるべきです。

I:見るだけで子どもの権利が侵害されるのですか。

S:あなたはそのようなフィルムを見たことがあるのですか。撮影するのに子どもがどんな危険にさらされるのかを。政治家はノルウェーやデンマークを見習うべきだと思います。
 
I:もうすぐ第3回ECPAT(性的侵害に対する子どもの権利を守る会)会議がリオデジャネイロで開かれます。女王陛下はストックホルムで行われた第一回会議に積極的に参加されましたね。それ以来どのような進展があったとお考えですか。

S:96年は当時の首相、イングマー・カールソンのイニシアティブで開かれました。122カ国が参加し、この種の初めての会議でした。この問題について初めてオープンに議論がなされました。この時日本から二人の女性国会議員が参加され、世界最大のポルノグラフィー産業が日本にあることを知り、非常に驚いていました。日本に帰ってからこの二人によって国会で討論され、法律が作られました。日本国家の勇気のある行動だと思います。第二回目の会議は横浜で開かれました。その後あちこちの国で、同じような法律が出来たことは、非常な進展だと思います。

I:上手くいっていないことは何ですか。

S:インターネットをもっと統制できないことです。もちろん多くのことが起こっているのですが。例えば、イェテボリの工業大学、シャルマースの学生が作ったプログラムでネット・クリングというのがあります。これをインストールすると、ポルノのサイトを開けると同時に警察と仕事場のチーフに通知が行くようになっています。
スウェーデンでは毎日5万人もの人ががポルノを見ているのです。それも社会のあらゆる層、医者も教師も両親(父親ですが)も見ている。どうしてこんなことが可能になったのでしょう。

I:どうして可能になったと思われますか。

S:例えば多くの人が自分は関係ないと思うとか、ただの写真じゃないか、大したことない、などと思うのではないでしょうか。ですから、私はこの種の会議で問題が表面に出て、討議され、いろいろな手が打たれることは喜ばしいと思います。

I:メディアがペドフィールのなまえを発表すればいいと言う意見に対してどう思われますか。

S:それは大変複雑な問題です。こういう人たちは子どもに接触のある職業と関係してはいけないのです。こういう人たちは助けてあげるべきです。医学的に、精神的に。

I:このような犯罪を犯す人は、子どもの時に暴行されたりしていると言われています。それに対して同情するべきだと思われますか。

S:この人たちは病気なのです。本当は社会が助けを差し伸べるべきだと思います。

I:FNはスウェーデンも人権侵害が行われていると発表していますが、このことについてどう思われますか。

S:子どもの権利もですが、そのほかにもう一つ大切なことがあります。トラフィキングです。映画「リリー・4・エヴァー」をご覧のことと思いますが、スウェーデンに連れてこられて、売春を強制される女性達。この人たちを助けるのは、警察もとっても大変なことなんです。

I:セックス・ツーリスムに対してどう思いますか。新政府の観光大臣、モード・ウロフソンは入閣2年となるのに、ほとんど何もしていないことに対しては。

S:今日では600の旅行会社が斡旋などしないと言う宣言書にサインしています。そういう意味で進歩はしています。

I:FNの子どもの権利に対する条約をどう思いますか。

S:この条約がもっと知り渡ればいいと思います。子どもが自分の権利を知るということ。その場合、今のスウェーデンで学校でどのように扱っているかを一考する必要があるでしょう。来年はこの条約の20年記念です。その誕生プレゼントとして、このようなことを考えて欲しい。

I:USAがFNのこの条約を批准していないことについて、どう思われますか。

S:USAは署名はしましたが、批准はしていません。この条約では子どもの定義は18歳です。16歳ではありません。私もなぜ批准しないのか疑問に思って、彼等に聞いてみたのですが、ある国会議員は「FNの言うことを聞きたくない。我々は独立の国家なのだから」と言っていました。私の答えは「私の国も独立国です」

I:新しい大統領になったら変わると思われますか。

S:そうだといいと思います。

I:避難民の子ども達、特に移民を拒否されて隠れている家庭の子ども達に対して、どう思われますか。

S:そういう子ども達は大変難しい立場にあると思います。(しばらく沈黙)私自身の考えがありますから、この質問に答えたいのですが、これは政治的な質問なので、次の質問に移ってください。

I:どういう意味で政治的なのですか。

S:これは政治にかかわっている人たちが解決することです。私も考える一個人ですから、自分の意見はあります。でもそれは彼等と直接話し合いたい。ここではこの問題は話し合いたくないのです。

I:最後に、王室は意見を言うことを禁じられていますが、狼に対してでも何でもいいのですが(王様は最近、狼猟に賛成する意見を述べ、アカデミーの会員の一人、著作家に批判された)、王家は口を出さないと言う禁則は強すぎると思われますか。

S:ええ。多分。狼については、主に二つの意見が対立していますが、何も知らない作家が意見を述べるのは…

I:王室はもっと意見を述べられるほうがいいと思われますか。

S:一度子ども達が小さかったとき、学校の成績評価について、親として、と断って意見を述べたことがあります。それでも大議論になって…私たちも考えのある人間です。もちろん政治家のしごとも尊敬しますし、法律も尊敬します。でも非常に個人的な問題、特に子どもに関しては意見を控えるのは難しいと思うこともあります。

I:今日はどうもありがとうございました。