2009年1月29日木曜日

源氏/Genji (2)

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Om Genji. Nu vill jag skriva om dåtidens månggiftssystem kring kejsarvärdigheten.
Svensk text följer efter japanskan.

しばらく前に読み始めた源氏物語。円地文子の訳のほうで、やっと3冊目(18帖)まで終わりました。原文はのろのろと。

なんともよく分からないのが、一夫多妻制の世界。それで手元にあった2冊の本を読み始めました。

源氏物語手鏡(1973年。円地文子訳。新潮社。10巻を全部買うとおまけについてきたらしい)
源氏物語の世界(1968年。中村真一郎。新潮社。)

古い本なのですが、面白いです。特に中村真一郎のはなんと40年前の本ですが、著者がフランス文学者のせいか、視点が広くて読み応えがありました。

なんといっても良く分からなかったのが、「色好み」が当時は紳士の条件だった、ということです。背景を知ってみると、平安時代の支配者側の社会構成が見えてきます。母性的社会の色がまだ残っているが、父性的社会に移りつつある時代です。

先ず、天皇の世界と貴族の世界は少し違う。帝はいってみればハーレムを持っていて、女性は主人である帝のところに住んでいる。一方貴族(源氏も始めのうちはこの中に入る)は女性を訪ねていく。遠くに住んでいると足も遠くなる。というわけです。

しかし、これは女性問題、恋愛問題という個人的なことだけではなく、男達の立身出世が大きくかかわっていること、そして女性も権力のある人が結構いたということです。

帝のハーレムには女御、更衣などという女性がいっぱい住んでいました。女御は左右大臣などほんの一部の上級貴族の娘、更衣は下級貴族の出身です。皇太子は女御から生れた男子の中から選ばれます。光源氏は更衣と帝の間に生れた子どもなので、ここですでに皇太子になる資格がないわけです。

貴族は娘が生れるのを大変喜びました。その娘に上流社会の女性に必要な教養を与えて入内させます。その子が帝に気に入られて、男の子を産めばしめたもの。いろいろな手を使って、皇太子になるように計る。ハーレムの女性も女御である間は、帝の使用人の一人でしかないのが、男の子を産むと、皇太后となり、この地位は帝と同格だからすごい権力をもつわけです。そして、皇太后の父は摂政/関白になるわけで、家族まるまる権力の座に上れるわけです。

「源氏物語手鏡」にはこの辺の事情が詳しく書かれています。
『この方法で天皇家の外戚として昇進できる道は、太政大臣、摂政関白に止まり、それ以上ではない。むろん、臣下としては最高絶大の権力を有する地位で、それを得るには、個人の力量、一門の実力、それ以上に、后にふさわしい女の子に恵まれ、さらに皇子が生れるという幸運に恵まれ、競争相手が疫病か何かで次々倒れる時運に廻り合わせ、という風に尽力以上に天運に俟たねばならぬから、並大抵の努力ではないが、それでもやはり臣下である。この点、女は入内して皇子を産むことにより、皇后、皇太后になって、臣下の身分を越えることができる。当時の貴族達が后の位に異常な関心を払ったのも、肯われる。p. 23』 つまり皇后になった娘は父親(臣下)の上に立つわけです。

ということで、娘に恵まれなかった貴族たちは、適当な生れの女の子を養子に取り、埋め合わせたりもしました。源氏物語の中にも養子を取る場面がいくつか出てきます。源氏が現実に一番愛したと思われる紫の君との間には子どもがありません。それで、紫の君は明石の君と源氏の間に生れたの娘を養子にすることを承諾、その娘は、ついには皇后になる。実にうまいプロットになっているわけです。

当時、栄華を極めた藤原氏、特に藤原道長(紫式部の雇い主)は上記の幸運に恵まれてあそこまで登ることができたのだそうです。つまり当時の男どもにとっては、奥さんをたくさん持って、女の子をたくさん産ませれば、氏族繁栄の可能性が増えるわけです。女性側も、それに協力したみたいなところがあります。

日本に住んでいるとあまり感じないかもしれませんが、こういう話を聞くと、今の日本、あるいはつい最近まで結構この時代の考え方が細々と残っているように思ったりします。

天皇に複数の夫人がいたのはつい最近まで(昭和天皇になるまで)だったし、一般人が結婚する時もXX家とYY家の結婚で、恋愛結婚でも、お仲人を立てることで、正当化しているところなど、まだまだ結婚が個人の問題だけでないところがあります。

源氏の母親、桐壺の更衣は、他のお局たちの非常に陰険ないじめに会い、それが原因で病気になり、源氏を生んでまもなく亡くなるのだけど、なんかその辺も今の皇室の閉鎖性に似ているかなあ、と思いながら読みました。いまだに男の子じゃなければ、子どもを生んでも認めてもらえないし。

以上、一夫多妻制の一部(天皇家側)を私なりにまとめてみました。機会を改めて、貴族側の事情を光源氏を中心に書いてみたいと思います。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

さとこさんこんにちは。

源氏物語は私も円地文子さんの訳で随分前になりますが読みました。
時代や政治的背景、社会的地位によって男の子が大事にされたり女の子が大事にされたりするのはちょっと不思議ですね。
一夫多妻制も一見男性に有利な様で案外面倒なんじゃないかと個人的には思うのですが・・・

SoS さんのコメント...

さとこさん。
私もそう思います。
今のように多文化が混ざり合って、戦争までする社会を理解するのには、こういう世界について読むのも少しは役に立つのではないでしょうか。