2008年9月27日土曜日

訪問


このところ日本から親戚の親子が遊びに来ていたので、ブログを書く時間がほとんどありませんでした。若いお母さんと元気な4歳の娘で家の中が急ににぎやかになりました。

すぐ仲良しになって、「スヴェンじいじと孫」という感じ。
いろんな楽器に触らせてもらいました。

一緒に演奏もしました。

音楽は保育園でちょっとやっているだけ。でも見ていると一種の音楽性がある子です。リズム感があるし、歌も上手に歌います。まだ海のものか、山のものか分からない。でも、親が強制するのでなく、将来、生活の中に音楽があってほしい。ごく自然な形で取り入れていってほしいな、と思いました。

2008年9月16日火曜日

ひまわり

家は3方を手入れの良く行き届いた庭に囲まれています。
手入れをしないのはうちだけ。困ったものです。
この写真のお隣さんはフィンランド人。ご主人は公園の管理人だったそうです。最近脳溢血で倒れ、退職されたようです。仕事のあった時代から、夕方家に帰ってくるとすぐに庭の手入れ。「仕事でもやって、うちに帰ってきても未だ庭仕事してる。よっぽど好きなんだね」とスヴェンは感心していました。
でもね、スヴェンだって、仕事で音楽して、うちに帰ってきてもまだやってるじゃない。同じです。
このところ台所の窓から眺めると、ひまわりが伸びて、先頭を垣根の上から覗かせています。3日ほど前からつぼみに花びらがチラッと見えたと思ったら、今日はすっかり咲いています。外気温はもう暖かくても15-6度というのに。
ひまわりなんだから、日が西に廻ったら、家のほうに向いてくるかなあ、と楽しみにしているんですが、写真の方向で朝から晩までじっと動かない。変なひまわりだなあ。日の光が弱すぎるんでしょうか。

2008年9月14日日曜日

大根

昨日、スヴェンが2kgもある大根を買ってきました。
最近、大根の買い方を教えてあげたので、一人でも買えるようになった、とご自慢です。 「重くて」は分かるけど「みずみずしいの」はなかなか分からなかったようです。
さて、何を作ろうか。魚屋さんに行ったら鯖のおいしそうなのがあった。おろし煮はスヴェンも大好き。そして…
隣に並んでいたのはなんとイカ。
目がピカッとしていたので、思わず買ってしまった。さて、こちらはどう料理しようか。
包みを開けたとたん、居間でひっくり返って寝ていた猫のグルッセが飛び込んできて「ちょうだい、ちょうだい、ちょうだい!」猫はイカを食べると腰を抜かすと聞いているけど、少し分けてあげました。

さばのおろし煮


大根とイカの煮物。スヴェンは「ゲテモノー」という顔をして食べなかった。
私には両方ともおいしかった。




イカをもらった後、ご満足のグルッセ。腰は抜けなかった。

2008年9月9日火曜日

貧困大国ニッポン

文藝春秋8月号最初の記事が「貧困大国ニッポン - 社会保障費1兆1千億円カットの衝撃 - ホワイトカラーも没落する」というのだった。NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長、湯浅誠というひとが書いている。少し前からこういう記事がかなり目に入るようになった。筆者は「もやい」という社会の底辺で働く人、失業者などを助ける活動をしている。高度成長期にも貧困はあったが、少し形が違うと言う。戦争直後から成長期に入った頃も確かに貧しい人はいた。しかし、仕事をすれば何とか食べていけたし、将来給料が上がる可能性もあった。また挫折した人を周囲の人、家族が助け合うことも多かった。しかし今は違う。まず90年代から現代まで、生活保護受給者、貯蓄ゼロ世帯、非正規採用者、自殺の数などが驚くほどの割合で増えている。自殺者には30代と60代が増えている。人生に一番希望を持って働く年代と、これから退職して一息と言う年代が増えているのは、何を暗示しているのか。また、筆者が学生時代から活動していた渋谷では、95年には100人もいなかった野宿者が99年には600人を越したという。わずか5年で6倍になったのだ。そういえば、時々帰省する東京の地下道で始めてボール箱に住んでいる人を目撃してショックを受けたのも、この頃だったろうか。
そして、貧困に陥ってしまう人たちのなかには最近、ちゃんと職業教育を受け、まともに働いていた人たちが落ち込んでいくことだと言う。正規採用だった人たちが職を失い、そのまま兎に角仕事につかねばならず、日雇い的な労働に甘んじるしかなく、そこまで落ちるともういくら働いても食べていけない、将来も同じレベルで生きていくしかない、という絶望的な状態に陥る。etc. etc. 何とも暗い話だ。
このような状態になった原因を多くの論者が1980年代の中曽根政策に始まり小泉改革が止めを刺したといっているのを読んだ。私が不思議に思うのは、じゃあ、小泉さんがこういうことに対してどう考えているのかを、本人に直接聞いたという話が全くないことだ。日本にいたら政治家がメディアで直接インタヴューなどの記事や放送、放映に出会うのだろうか。
ここだったら、野宿者が5年で6倍に増えたら、マスメディアも一般大衆も黙っていないのではないだろうか。政治家は多分つるし上げに会うのではないだろうか。政治家がジャーナリストや大衆に会う機会はここのほうが多いような気がするのだけど、もし、そうでないのだったら、教えていただきたいと思います。

2008年9月5日金曜日

実りの秋

今朝、お向かいのおじさんから、庭になったプラムを取りにおいで、とお誘いがありました。
取れたばかりのプラム。最高においしいです。
その上、今日は残りをにてビン詰めにするから、びんを持っておいでということで、冬中プラムのジャムが食べられそう。

プラムの木。今年の分はほとんど収穫済み。  

2008年9月2日火曜日

日本語の歴史

平凡社の「日本語の歴史」と言う本を読んでいます。面白いです。
[1]は日本人と日本語がいつ、どこから歴史上に現れたのか、ということを今までの研究の成果を踏まえて論議しています。ウラル・アルタイ語系から派生したらしいことが有力のようですが、やはり、はっきりしないことが多いようです。まるで推理小説を読んでいるみたいです。
昨日からは[2]を読み始めました。「文字とのめぐりあい」というので、世界の7つの古代表語文字にはじまって、漢字の成立、変歴そして日本語と漢字の問題を書いています。面白かったのは、古代の7つの文字の中でも一番古いメソポタミアのシュメル文字が絵文字の状態から完成されたの文字体系になるまで5世紀もかかっているのに、漢字を含むほかの6つの文字は比較的早く発達していることなどから、後から発達した文字は何かの形でシュメル文字を知っていたのではないかと言う推測がなされているということです。証明されたわけじゃないけど、浪漫をさそう考えですよね。
日本語教師をしていて、疑問に思っていたことが色々な面から賛否両論の形で紹介されていて、もっと早く読んでおけばよかったなあと思います。もっとも、在職中はほとんど暇がなかったから、無理だったでしょうけど(宮部みゆき等はケロッと読んでいたのだから、そうも言えないかな)。
全7巻。まだしばらく楽しめそうです。

マーラー(8)

今日からいよいよマーラーの録音です。
オルガンと歌の音量のバランスが心配でしたが、技術者のトールビヨルンさんがとってもきれいに入れてくれています。
今夜は11時までかかってリュッケルトの"Blick mir nicht" とKindertotenlieder の5曲目、嵐のところと、「告別」の3分の1まで入れました。順調です。

2008年8月28日木曜日

マーラ(7)

私がマーラーづいているのを知っている東京の兄が井の頭公園で「マーラ」という動物がいるのに気が付きました。面白がって見に行ったら、こんな動物だったそうです。テンジクネズミ科というから、ネズミの一種なんだろうか。ちょっとカンガルーの小さいのみたいにも見えるけど。


表示によるとアルゼンチンの生まれらしい。学名も英語名もマーラじゃないので、一体何語なんだろうと頭を傾げていました。現地の言葉かもしれませんね。

2008年8月27日水曜日

マーラー(6)

昨日、ペガサスのグループが無事録音を終え、ハンブルグに発ちました。プレーンでのフェスティバルに参加するためです。

夜は7時からマーラーのコンサートをしました。ヴァーサ教会のオルガンを使って、編曲がどのようになっているかを見るために行いました。いわば来週の録音の予行演習のようなものなので、ほとんど宣伝をしなかったのに、お客さんがかなり入りました。レジスターにいろいろ問題があったけれど、とても成功しました。さあ、これから録音です。

ペガサスもこの録音もマーラーの「源光」が含まれています。それで思いついたのが、3月2日の日本でのリリースにマリアを送って、ペガサスと共演させてみようということでした。条件が上手く合えば、可能性は大です。みなさん、どうぞお楽しみに!

2008年8月24日日曜日

アンサンブル・ペガサス・トウキョウ

日本から23人の金管楽器演奏者がイェテボリに現れました。CD録音のためです。場所は市内のある教会。
このアンサンブルに私たちは数年前からほれ込んでいます。なんといってもサウンドが新しいのです。 それは金管楽器本体の音色にもっと柔らかい音のフリューゲルホーン、バス・フリューゲルホーン、ユーフォニアム、2本のテューバなどで、中低音の充実を図って、交響楽に近い音が出せることです。
今回の録音もリーダーの山本訓久さんのアレンジによるマーラーやブルックナーの作品が入っています。来年3月リリースを目指しています。

2008年8月19日火曜日

スウェーデン情報

スウェーデンの社会、政治、経済についての最近情報が知りたかったら、次のブログをお勧めします。「スウェーデンの今」といいます。
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_swe
ちなみに今、北京オリンピックで起こったスウェーデン・レスリング選手が銅メダルを表彰式の真っ最中にその場に置いて、会場を立ち去った事件に関して、日本の新聞の誤報に近いニュースを正確に伝えなおしています。

2008年8月18日月曜日

アンナ・ラーソン

週末に歌手のマリア・フォシュストロームとストックホルムに行きました。世界的に有名なアルト歌手、アンナ・ラーソンにレッスンを受けるためです。私はオブザーバーとして行きました。土曜日と日曜日に全部で4時間の物凄くインテンシブなレッスン。ほとんど1時間ごとに予定が組んであるアンナが時間を空けてくれただけでもありがたいのに、彼女の集中力には全く脱帽です。
アンナ・ラーソンはストックホルムのオペラ学校をでて、オペラ歌手になり、1997年に指揮者クラウディオ・アバドに認められて、ベルリン交響楽団でマーラーの第二交響曲を歌い、世界の舞台に踊りだしました。アルトとして、今、最も注目されている歌手の一人です。

土曜日は朝から子どもたちのためにパーティを準備して、近所の子ども達をよんであげて、3時から5時までマリアを教えて、夜8時からはオペラ座の横にある広場で野外演奏会がありました。サンサーンスの「シムソンとデリア」アンナの相手役はこれも世界的なテノールのラッセ・クレーブランド。アンナのすごいバイタリティーにはびっくりです。

野外コンサートの後で、近くのバー・レストランに行きました。ピアニストのマッティ・ヒルボネンと彼の娘さんも一緒でした。マリアがアンナにSMSを送ったら、彼女もそこに現れました。

シャッター・チャンスが悪くてすみません。右の写真、手前はアンナとマリア。後ろに立っているのはマッティです。

日曜日はアンナの自宅でレッスン。彼女と家族(ご主人と坊やが二人)はストックホルムの郊外にあるリーディングオーというところに建築家が建てた新築の家に住んでいます。

彼女は素晴らしい歌手でもあるし、教師でもあります。私は生れて初めて、本当に高度の歌のレッスンというものを経験しました。生徒にとっては新しいテクニックを引き出してあげて、納得させながら教えていく。生徒の悪い癖を真似するのが実にうまい。例えば、歌手の先生がよく言う、「アゴをリラックスしなさい」というだけだと何が起こるかを実演して見せます。マリアのドイツ語が暗くなりすぎるのに対して、この写真では母音を口の前のほうに持っていく方法を指導しています。

マリアは9月にムシカ・レディヴィヴァ(www.mrcd.nu) のラベルでマーラーを入れるために、このレッスンを受けているのですが、アンナはアバドの指揮でマーラーをほとんど全部歌っているのです。彼女が本当に寛大だと思ったのは、彼女自身がアバドの元で練習した時、彼がどんなことを注意したか、逐一マリアの教えてくれたことでした。勿論アンナがマリアを買ってくれているからなのですが。

レッスンの終わりにアンナが与えたこと。

「歌手のように振舞うな。そういった取って付けた態度を全部取り去って、マリアという人間の中身だけになって歌いなさい。私はそれが一番大事だと思います。それは聴衆の前に全てをむき出しにしてしまうことなので、とても勇気がいるのだけれども、成功すると、本当に心を打つ歌になるのです」

アンナもそれを一生懸命に実施しているのでしょう。

帰りのストックホルムの駅でほっとして一息。マリアは大好きなイタリアン・アイスクリームを吟味しています。

帰りの電車が遅れて、イェーテボリに着いたのは夜の10時半でした。

くたくたに疲れたけど、とても実のある週末でした。

2008年8月15日金曜日

友だち(3)

H夫妻は午前の汽車でコペンハーゲンに出立しました。
駅まで送っていったのですが、この駅の能率の悪さ。ちょっと信じられない。
先ず、プラットホームに着いたら、もう相当のお客さんが待っていました。ホームがほとんど一杯のなるくらい荷物と人の山です。電車は未だ来ていません。何号車がどこに着くのか全く分からない。電車はどうも遅れているらしい。車掌さんらしき人に聞いても「11号車ですか。はあ。一番前か一番後ろでしょう(!)」 一体、どこに行けばいいの?掲示板には「列車を時間どうりに運行するために、発車時刻の30秒前にドアを閉めます」というインフォが走っています。なんじゃい、これは?
やっと電車が入ってきました。車両に番号が付いていない。お客さんはみんな右往左往。Hさん夫妻は1等だったので、車両にオレンジの線が2本入っているのを探せばいいからまだ分かるのですが。
それでもみんなどうと言うことなく黙々と乗り込んでいます。
「定刻発車」という本を読んだ私には、この手際の悪さは開いた口がふさがらない。Hさんも「おやまあ」という顔でした。電車は勿論大分遅れて出発しました。

夫妻と別れてから、近くの市場を訪れました。手芸品の展示でした。



鍵を保管する装置を売っていて、気に入ったので買いました。
これはそれを作ったおじさん。

2008年8月14日木曜日

友だち(2)

H夫妻は今日は1日観光でした。
美術館を覗いた後、船舶博物館へ。ご主人は潜水艦の中まで見られてご機嫌でした。
夕方、音大に行きました。スヴェンの案内で学校を見て歩き、色々な古楽器も見ました。
夜は我が家で夕食にご招待。
料理係の花代ちゃん。学校をでて、真のコックです。
今日の夜は正式にご招待のお客様のために料理をしてくれました。
前菜は左から赤ビーツの酢漬け。トーストの上カンタレラ(アンズダケ=きのこの1種。今の季節にしか食べられない)。オジャガの輪切りのうえにエビ。赤ラディッシュとこの地方のチーズ。右上がカスラーのマリネ。手前はブルーチーズとジンジャービスケット。豪華6種類です。
主食はニシン2種類。トマト煮込みとカヴィアと卵のペーストをニシンで巻き込んだもの。新ジャガ。
そしてデザートはアイスクリームの上にエゾイチゴとブルーベリーをのせたもの、でした。
本物のコックさんを頼んでのディナー。最高に贅沢です。
この次はお皿など小道具の良いものを買っておきたいです。

友だち

日本の友だちH夫妻がイェテボリに訪ねてきました。
奥様は歌手。ご主人は今、翻訳家として退職後の人生を楽しんでいらっしゃいます。
1999年、スヴェンが日本でコンサートをした時に共演してからのお付き合いです。とっても素敵なご夫婦で、今回は奥様がエストニア、タリンのピアノの学会で歌われるので来欧。ここまで来てくださったのです。ご主人は奥様のサポート係を見事にこなしていられます。ご自分の仕事に誇りを持ってしっかりとやってていらっしゃった(いらっしゃる)方は、脇役になっても元の魅力をもったままで、ゆうゆうとしていらっしゃいます。
スウェーデンの新幹線、X2000に乗って(鉄道はご主人の趣味の一つなのだそうです)ストックホルムから3時間。午後に中央駅で再会しました。
ホテルで一息。今日、最初の目的地はチェンバリスト、アンドレアス・エードルンドです。
アンドレアスとはやはり1999年からの知り合いです。日本公演のとき、アンドレアスも一緒だったのです。先ず、彼のスタジオに行きました。このチェンバロは久保田彰さんの製作です。日本でも有数な製作者の久保田さんは当時まだ若いアンドレアスにほれ込んで、このチェンバロを生涯貸し出しという条件で作ってくださいました。アンドレアスもその期待を受けて、素晴らしいチェンバリストに育ちました。今は、演奏も理論もこなす音楽家となっています。彼は9月にはイェテボリ大学、音楽科でマスターを取るところまで来ています。イェテボリ大の音楽科には、音楽家であっても修士や博士号が取れるシステムがあります。つまり、音楽家として完成するということは、実践上の経験と共に内に溜まっている技術や知識があるのですから、それを元に研究テーマを選んで書くことが出来るはずだ、という考えから作られた部です。
アンドレアスの研究テーマは「18世紀の演奏法、ひとつの選択」という副題で、ペルゴレーシのスタバート・マーテルを50年後に書き直した(改作した?)フォーグラーという人の作品を中心に自分の経験と比較したものです。アンドレアスは小さいときから通奏低音に興味があって、音大もクラリネットを主楽器に選んで入学したのに、チェンバロで卒業するという変り種です。教会音楽家のタイトルも持ち、クラシックの鍵盤の技術もある上に、フォークのグループなどでもジャムセッションのようにアドリブを演奏することが出来る。学生時代にはスヴェンのグループで古楽器の多種類(リコーダー、ドゥルチアン、ポンマー、クルムホルン等の吹奏楽器からハープ、クラビコードまでこなすというオールラウンドの才能の持ち主です。チェンバロに興味を持ったときから、バロックの音楽家(作曲、演奏、インプロなど総合的な音楽の知識と演奏技術を持つ)を目指していたのだと思います。そして今、そのような音楽家に成長していく段階で、現代、バロック的な音楽家であるとはどんなことを意味するのかを考えた。それを論文の形にしているのです。指導教官に気に入られて、博士課程も、と勧めるられているらしいです。若いのにこのような経験を持っているので選べた主題だと思います。論文に書いている考え方をHさんのご主人にも披露して、意気投合していました。

アンドレアスの演奏を聞いた後で、彼のアパートに出かけ、奥さんや子ども達にも会いました。99年には彼は独身だったので、Hさんご夫妻は家族と初めての出会いです。


その後で、ホテルに帰り、そこで食事をしました。私と奥さんはアンコウの焼いたの、ご主人はスウェーデン名物、ショットブラー(肉団子/ミートボール)でした。








2008年8月10日日曜日

廃墟でコンサート

8月8日
イェーテボリ北方30kmのところに大きな廃墟があります。もともとは砦として13-14世紀に作られたものです。当時はここはノルウェー領でした。ヨータ・エルベ川のほとりに建てられイェーテボリを北に上っていくと目の前に立ちはだかるように偉大な姿を現します。
川の南岸はデンマーク領だったので、1658年に大体今の形になるまで スウェーデンは西海岸にはずっと川上にポツンとある小さな港(旧イェーテボリ)以外、出口がありませんでした。
この地がスウェーデン領になって350年、今日はそこでコンサートがありました。
始めは中世の道化師たちの出演です。魔女や熊(なかなか良く出来た縫いぐるみで、中に人が入っています)が観客を笑わせていました。
ヘレナとスヴェンは中世の歌。そのほかにオペラ歌手がハープの伴奏でアリアを歌ったり、ダンサーが出てきたり、バラエティーに富んだプログラムだったのですが、お客さんはちらほら。
よく考えてみたら、今日は北京オリンピック開幕の日でした。

2008年8月4日月曜日

定刻発車

最近読んだ本に数理経済学者の三戸裕子さん「定刻発車ーー日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?」というのがあります。新潮文庫出版。

膨大な日本の鉄道のシステムを解き明かし、なぜここまで正確にならなくてはいけなかったのかという疑問に迫ります。いつも正確なのが当たり前と思っている鉄道。読むとその背景にどれほどの努力が秘められているのかを垣間見ることが出来て、びっくりしました。同時にこの勤勉さ、几帳面さが日本が驚くべき経済発展したことなどにも結びついて、日本人の性格まで考えさせられる本です。

まず、「定刻」という言葉の定義が国によって違うので、比較の仕様がないのだそうです。例えばドイツでは15分遅れが遅延と定義されている。だから14分送れて目的地についても定刻なのだそうです。ヨーロッパの国はいずれも多かれ少なかれ同じような定義だそうです。ところが日本ではなんと1分の遅れを遅延としている。フランスの鉄道が96%、日本98%正常運転といっても比較の対象が違うのでお話にならないのです。(ちなみに2003年の新幹線の遅延は0.3分だそうです。平均で33秒しか遅れていない!)

ラッシュ時の東京、中央線が2分間隔で運転している。外国ではそんな間隔で1本のレールを使うことがないので、15分遅れもすぐに回復できる。そしてどうしてそうなってしまったのかも説明されています。

定刻発車ということは何百人、いや、何千人の人たちのチームワークでなりたっている。台風などのかく乱要素が前の日から予想される場合には、人事や経理の人たちまで駆り出して対策に当たるのだそうです。彼らは「自分の仕事はお客を整理することではない」などといわず、前の日には制服を家に持ち帰り、翌日直接指定された駅に出向き、駅員を助ける。飛び込み自殺など予想されなかった事故が起こった場合にも、すぐに飛んでいく体制が整っているらしいです。

また、新幹線の列車が毎回寸部も違えずに指定の位置に止まるのでも分かるように、運転手の運転腕前も大したものです。自分の運転するラインは微に入り細に渡り記憶していて、10秒の遅れをいかにしてどこで取り返すかなど、常に考えながら運転しているそうです。日本は山あり川ありの起伏に富んだ地形で、その上駅と駅の間も短い。だから、普段でもここのカーブは時速何キロではしる、あそこの坂は何キロと言う具合に細かく決まっているのだそうです。遅れた場合(秒単位で)どこで、どうやって取り返すかは運転手の腕前となっています。

このようなチームワークは日本人の特徴だと思います。

私が50歳になったとき(スウェーデンでは大きなお祝いをします)、80人ぐらいのお客さんを集めてパーティーをしました。場所はイェーテボリのコミューンが持っている集会場。台所、ナイフやフォーク、お皿なども備え付けてあります。6-7人の日本人の友だちが手伝ってくれることになりました。何の料理を出すか、だれが作るか、当日はどうやって料理を運ぶかなどおおまかなことは決めてありましたが、皿洗い、料理の出し入れ、掃除などあまりはっきりしていませんでした。私は当日着物をきて、いらっしゃったお客様たちとチャラチャラしていたのですが、驚いたことに、日本人達はみんな、必要なことを自分で見つけてどんどんやっていくのです。台所には知らないうちに誰言うともなく役割が決まっていて、汚れた皿をどんどん集めて、洗っていく。それを拭く係りがいて戸棚に入れていく。また皿が必要になると誰かが取りに来る。大皿に盛った料理が少なくなると、脇に寄せ、ほかの料理と一緒に盛りなおす。等など。見事なチームワークでした。スウェーデン人では絶対に考えられない。

このように日本人は3人集まると、何も決めなくても、チームワークが成り立つのです。

私はイェーテボリ大学の日本語科の教師を務めていましたが、ここでも同様。昔は今のように便利なコピー機がなく、試験は自分でコピーし、1枚1枚拾ってホチキスでとめるという結構めんどうなことをしていました。だれかが自分の作った試験を綴じはじめると、時間のある仲間が黙って横に並び手伝う、等ということはごく普通でした。

しかしこういった仲間意識はある意味では外部の人(たとえばスウェーデン人)を無意識のうちに締め出してしまう可能性もあるのです。そしてその気はないのに、外国人との対立を作り出してしまう。その危険性はいつも十分心得ておく必要があると思いました。

とにかく面白い本です。

2008年8月1日金曜日

お隣の猫


最近、お隣の猫がうちに遊びに来ます。家の中を我が物顔に歩いて、うちの猫は閉口しています。その上、ご飯も平らげて帰って行きます。あんまり威張られるとうちの猫が家出するかもしれないと、ちょっと心配しています。




INTERLINGUA

7月31日

下の写真の字を読んでみてください。
インターリングアです。7月30日から8月3日までリンショーピングのFolkhögskola(国民高等学校)で開かれている会議に出席しました。ご覧のようにイタリア語によく似ています。



インターリングアはアメリカの大金持ちの婦人が資金を出し、世界中の言語学者を集めて作らせた新しい言語で1951年に完成しました。英・仏・伊・西/葡語の共通点を組み合わせたものです。(独・露語も参考程度に使用)。したがって、ある意味では生きた言葉で(現代のラテン語ともいわれる)、ヨーロッパ人のほとんどがこの言語を知らなくても理解できます。文法は非常に簡素。主な文法はA4に1枚で説明されてしまいます。日本ではまだあまり知られていませんが、会議には私を除いて日本から1名の参加がありましたから、これから増えていくのではないでしょうか。


会議は典型的なスウェーデンの国民学校で行われました。素晴らしい夏の天気。外に座ってコーヒータイムを楽しんでいます。

議期間には初心者コースも行われ、みんな熱心に勉強中。










チェンバロ・コンサート

7月30日
イェテボリ北東80キロ、トロルヘッタンで行われたチェンバロ・コンサートに行きました。
車でお隣のおばさんと一緒です。
バッハのゴルトベルク変奏曲でした。演奏はムジカ・レディヴィヴァでもお馴染みのベンクト・トリブカイト。初めて彼の自慢のチェンバロを聞くことが出来ました。素晴らしい腕前、美しい音で素敵なコンサートでした。

夕暮れの迫った教会。残響が強くなく、よい音でした。

コンサートの後のベンクト。教会の前で。

トロルヘッタンは水の都といわれています(都というのにはちょっとちいさいですが)。
街の中心を運河が走っています。この運河は東海岸のイェテボリから西海岸のストックホルムまでつながっています。船に乗ってスウェーデンを横断する贅沢な旅もあります。
教会から帰るとき、ロールスロイスが止まっていました。
ちょっと故障したみたい。動かなくてもかっこいい車です。